盧溝橋事件とは?きっかけや真実、トイレに関する逸話などをわかりやすく解説!

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日中戦争の武力衝突の引き金になった盧溝橋事件。

そもそものきっかけは一兵卒のトイレだったと言われていますが、その真実をわかりやすく解説します。

盧溝橋事件とは

盧溝橋という橋のそばで起きた、日中戦争の武力衝突のきっかけになった事件です。

ちなみに盧溝橋とは、北京西南部郊外の永定河に架かる橋で、元代にマルコ=ポーロがこの橋を渡ったことが『東方見聞録』にも書かれている名所です。

 

盧溝橋事件の背景

中国へ駐屯していた日本軍

1900年から1901年にかけて発生した義和団事件をきっかけに、北京議定書が取り交わされ、中国には日本を含む列強の軍隊が駐留。他国は引き上げましたが日本軍はそのまま残ります。

盧溝橋事件を起こした支那駐屯軍は、居留民保護の名目で駐留し、演習などを行っていました。

 

満州事変と満州国建設

中国では満州の権益確保のため、関東軍による独自の軍事行動が相次いで発生していました。

関東軍は1928年に軍閥・張作霖の爆破事件を起こし、次いで1931年の自作自演の線路爆破事件(満州事変)を起こします。

その後1932年には傀儡政権・満州国を建国し、中国により国際連盟に侵略を訴えられていました。

当時、日中関係は緊迫しており、一発触発の状態だったと言えるでしょう。

盧溝橋事件のきっかけ

日本軍は、1937年7月7日の夜から8日の早朝にかけて、北京郊外盧溝橋付近で夜間演習を行います。

 

一発の銃声

午後10時過ぎ日本軍が演習を終えた直後、どこからともなく、実弾を発砲する銃声が聞こえてきます。

日本軍では演習では一切実弾を使わず、実戦で人を殺害する目的があるときだけ弾を込めた銃を装備していたため、実弾で撃ちかけるということには重い意味がありました。

 

中国から攻撃を受けたと判断

当初日本軍は中国軍側で起こった偶発的な発砲かと考えました。

というのも、中国軍では実戦でも演習でも関係なく実弾を使用していたからです。

その上、無用の武力衝突を望まなかったので、演習の実施はあらかじめ中国軍(国民党)に伝えていました。

しかし、発砲は一発で終わらず、数十発にもなり、中国軍から攻撃されていると判断せざるを得なくなります。

 

兵士が行方不明に

この非常事態に日本側で人員点検のために点呼を取ってみると、伝令役の初年兵が一人いなくなっていました。

20分後にこの兵士は発見されたのですが、行方不明の兵士が無事だったことは別の場所にいた大隊長には報告されませんでした。

そのため、日本軍は中国軍に味方の兵士が撃たれたとの誤った情報をもとに、中国軍から仕掛けられたのだからしかたないと銃撃戦に発展します。

 

盧溝橋事件の終息

その後、石原莞爾の不拡大指示があり、8日中には銃撃戦は収まり、日中の上層部間で交渉が行われます。

11日未明には、中国が「責任者の処分」「中国軍の盧溝橋城郭・竜王廟からの撤退」「抗日団体の取締」などの日本の要求を受け入れて停戦協定が調印され、停戦となりました。

 

足りなかった兵士はどこへ

実は点呼のときにいなかった兵士は、その時たまたまトイレに立っていただけでした。

持ち場を離れて20分後に戻ったら銃撃戦が始まっていたので、収まるまで隠れていたということです。

 

戦場のトイレ事情

緊急時にはやむを得ず草むらで排泄したこともあったかもしれませんが、基本的には野営地では穴を掘って簡易的なトイレを作っていました。

そうしなければ、赤痢などの伝染病が蔓延し、戦闘もままならなくなってしまうからです。

ちなみに日本軍はトイレを厠と呼んでいました。

日中戦争へ発展

盧溝橋事件は迅速に終息したものの、日中戦争へ発展していきます。

もともと内閣は不拡大方針を声明していたにもかかわらず、11日に内地に向けて関東軍・朝鮮軍・内地軍の増派を決めます。

軍部内でも,拡大派と不拡大派が対立していましたが、結局戦線は拡大していきました。

というのも、中国国内は国民党、共産党など入り乱れての混乱状態になっていたので正しい情報が伝わらず、停戦協定に則った行動ができなかったのです。

そして各地で武力衝突が起こり、一般市民を含め犠牲者が出ることになりました。

 

日中戦争へ突入

北京、天津総攻撃の開始から全面的な戦争に突入します。

中国側では日本の攻撃をきっかけに敵対していた国民党と共産党が手を取り合い、日本に徹底的に抵抗。

結果として泥沼の長期戦となっていきました。

偶発的に起こった事件から始まった戦争の為、日本軍は、はっきりとした宣戦布告はしていません。

 

盧溝橋事件の真実

一兵士の用便が盧溝橋事件の原因と言われていますが、実は、実弾で撃ちかけられたことがそもそもの原因でした。

最初の一発は日本軍から出た銃声ではないということだけは確定しています。

緊張状態にあった日中両軍が駐留している盧溝橋付近で両軍に向かって発砲し、紛争に発展させたのは共産党だと言われています。

結局、共産党は国民党と協力して抗日運動を展開していくことになるのですが、それ以前は共産党は国民党と比べて劣勢に立っていました。

そのため、日本と国民党の間になんとかして争いを起こさせ、隙に乗じて政治の主導権を握ろうと画策したのです。