墾田永年私財法とは?内容・目的・作った人物や覚えやすい語呂合わせについて解説!

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墾田永年私財法とは奈良時代、聖武天皇によって発布された政策です。

自身が開拓した墾田の永年私財化を認める法令であったため、資本を持っていた中央貴族や豪族が活発な墾田を行うようになり、私有耕地が拡大し、有力者の私有地である荘園が増加するきかっけとなりました。

そんな墾田永年私財法の内容や目的、作った人物や覚えやすい語呂合わせを解説していきます。

墾田永年私財法の覚えやすい語呂合わせ

墾田永年私財法は天平15年(743)5月27日、聖武天皇によって発布されました。

年号も含めた覚えやすい語呂合わせとして「墾田永年私財法は制限なしさ(743)」があげられます。

他にも「なじみの年号(743)、墾田永年私財法」もあります。

 

墾田永年私財法の時代背景

墾田永年私財法は天平15年(743)5月27日、聖武天皇によって発布されました。

この法令が発布される約20年前の養老7年(723)、当時実権を握っていた長屋王により元正天皇のもと三世一身法が発布されます。

この三世一身法とは、溝や池といった灌漑施設を新設し墾田を行った場合、本人、子、孫または子、孫、曾孫までの三世代までの所有を認めるといった法令でした。

この法が施行されたため、墾田の実施が増加しましたが、この法は3代後には土地を再び返却しなければいけなかったため、農民の墾田意欲の増大は一時的にあったものの継続されず、また開墾された田も返却時期が迫ると手入れされなくなり荒地に戻ってしまうといったケースが多くありました。

よって、三世一身法が制定されたわずか20年後に、聖武天皇によって解決策となる墾田永年私財法が発布されることとなります。

墾田永年私財法の目的

墾田永年私財法の目的は、三世一身法によって荒地となった田を整備すること、また食料の生産を増やすことでした。

そのために、開墾した土地の私有化を永年にわたり認めるという墾田永年私財法を聖武天皇は天平15年(743)5月27日に発布します。

 

墾田永年私財法の内容

当時、律令において国の土地の一部を民衆へ一律に支給し、その収穫から地税的な税である租を得るということが規則となっていました。

しかし、国の所有地である土地を墾田した者には、その土地の私有化を永年にわたり認めるといった墾田永年私財法は律令体制崩壊の兆候と一般的に考えられています。

天平15年(743)5月27日に発布された墾田永年私財法には、墾田した者の土地は永年にわたり私財化を認めるといった他に、耕地を開墾する前には必ず国に申請すること、国から許可が下りたら3年以内に開発を行うこと、公衆の妨げとなる土地の所有は認めないといったことが記されています。

また開墾された土地は私有化が認められていましたが、国家への納税義務がありました。

このように開墾された土地の私有化を認めながら、納税義務を課すことで開墾田を国税に取り組んでいく仕組みを作ったのです。

 

資金と労働力が必要となる

開墾した土地の私財化を永年を認めることによって、農民たちは開墾を繰り返し私有地を増やしたため、収穫は増え、労働意欲の増加につながることとなりました。

しかし、開墾した土地は永年にわたって私財化が認められましたが、どの土地も収穫に恵まれるわけではありません。

野菜や米を育てるには水が必要であり、そのためには用水路をつくらなければなりません。

よって用水路の整備にもお金は必要となりました。

もちろんこの用水路の整備は国が行うわけではなく、開墾者自らで整備しなければなりませんでした。

このようなことから、いくら開墾したとはいえ用水路などの整備にかかる資金や労働力を持ってなければ、収穫に繋がることはありませんでした。

荘園の誕生

この時代、資本を持っていたのは中央貴族や大寺院です。

資金を持っていた中央貴族や大寺院は諸国の国司を通して地方諸国の開墾予定地を買い占目ていきました。

こうして中央貴族や大寺院が活発に開墾を行うことによって大規模な土地私有が出現することとなります。

このような土地は荘園を呼ばれています。

 

墾田永年私財法の中断

称徳天皇の治世、天平神護元年(765)3月6日に墾田永年私財法は一時中断されます。

天平15年(743)に墾田永年私財法が発布されて以来、各地で墾田が過熱してきたため寺社を除く一切の墾田私有が禁じられました。

しかし、称徳天皇が崩御し光仁天皇が即位すると宝亀3年(772)10月14日に墾田私有が許可されます。

再度墾田を許可に至った理由は藤原氏や富豪や大寺院の圧力によるものと考えられています。

 

武士の誕生

墾田永年私財法は施行されたことによって、収穫があり稼げる者や資金や権力があり私有地を増やすもの、その一方で資金や権力がないため私有地を増やせないものなど格差が誕生しました。

有力者である中央貴族や大寺院が作った荘園には様々なルールが設けられましたが、豪族らが開墾した土地は自ら武装し守らなければいけません。

そこで誕生したのが武士でした。

 

まとめ

墾田永年私財法は聖武天皇によって天平15年(743)5月27日によって発布されたものでした。

開拓した墾田の永年私財化を認める法令でありましたが、開拓した墾田から収穫を得るためには資金と労働力が必要不可欠でした。

よって、資金と労働力を持つもの、持たないものとの間に格差が生まれることとなります。

資金や権力を持つ中央貴族や大寺院が活発に開墾を行うことによって大規模な土地私有が出現し、荘園が誕生しました。