道元とは?禅師や正法眼蔵、永平寺との関係や名言について解説!

道元とは中国に渡り曹洞宗禅師の天童如浄から印可を受けた後、日本において曹洞宗を開祖した人物です。

帰国後、京都深草に興聖寺を開いた後、福井県の大佛寺に移ると、大佛寺を永平寺と改めます。

道元は曹洞禅思想の神髄を説いた『正法眼蔵』を寛喜3年(1231)から癌によって亡くなる建長5年(1253)まで著し続けました。

そんな道元の生涯や著書『正法眼蔵』、永平寺や自身の名言について解説していきます。

道元の生い立ち

道元は正治2年(1200)、京都の久我家で誕生しました。

道元の両親については諸説ありますが、父は内大臣・源通親、母は太政大臣・松殿基房(藤原基房)の娘・藤原伊子と考えられています。

その他に源通親の子である大納言・堀川通具が道元の実父ではないかとも推測されました。

道元の両親について明確なことは分かっていませんが、道元は上級貴族、公卿の家の出身であったということは確かです。

文明4年(1472)までに成立されたと考えられている、道元の伝記『永平開山行状建撕記』には、道元は3歳で父親を亡くした後、8歳で母親を亡くすと、異母兄・堀川通具の養子となり育てられたとされ、幼少の頃から聡明であったとされる道元は9歳の頃には『倶舎論』を読んでいたとされています。

 

天台宗の僧・公円から天台教学を学ぶ

建暦3年(1213)になると天台宗の総本山である比叡山の天台座主公円に剃髪され14歳にして出家します。

この際、道元は『仏法房道元』と名乗りました。

出家し比叡山で天台教学を学んでいた道元でしたが、『金剛三昧経』序品第一に記された「本来本法性、天然自性身」という言葉に疑問を感じ始めます。

この「本来本法性・天然自性身」とは本来、全てのものは法を具えた仏様であり、人も自然も含めたすべてのものは仏様が姿を変えたものであるという意味でした。

この経文に対し、道元は人間は仏様であるということならば、なぜ血のにじむような修業を行うのか。と疑問に感じたのです。

 

臨済宗の僧・明全に師事

この疑問の解決のため道元は建保3年(1215)、園城寺(三井寺)の公胤僧正のもとで天台教学を修めました。

その後、公胤僧正から建仁寺へ参るよう勧められた道元は、建保5年(1217)建仁寺へと参り、建仁寺において臨済宗である栄西禅師の高弟・明全に師事することとなります。

南宋へと渡る

24歳になった道元は貞応2年(1223)、さらに禅の教えを受けるため明全とともに博多から宋(中国)へと渡りました。

南宋へと渡った道元は諸山を巡ると、その中の天童山において中国の曹洞宗の禅僧・天童如浄と出会います。

天童如浄から「身心脱落」を聞くと天童如浄を師とし、中国曹洞禅の只管打坐の禅を学びました。

この只管打坐とはひたすら坐禅に打ち込むといったものです。

その後、長い修行の末、師・天童如浄から悟りの境地を認められると印可が与えられ安貞2年(1228)、道元と明全は日本に帰国しました。

 

『正法眼蔵』を執筆

帰国した道元はすぐさま、禅宗の心構えや座禅の作法などを記した『普勧坐禅儀』、そして曹洞禅思想の神髄を説いた『正法眼蔵』を執筆し始めました。

天福元年(1233)になると自ら京都の深草に興聖寺を開き僧堂(坐禅堂)を建立します。

道元の元には多くの弟子が集まり、天福2年(1234)には広く名前の知られていた孤雲懐奘も入門し、たくさんの人々が入門しました。

 

永平寺

次第に弟子の数も増え僧団は大きくなりましたが比叡山からの圧力もあり、また、師・天童如浄は国王大臣に近づくのではなく奥深く仏の道を学び、仏の弟子を育てなさいといった教えも述べていたため、道元は寛元元年(1243)7月、地頭・波多野義重の招かれ越前志比荘(現在の福井県)に移転し、寛元2年(1244)に傘松峰大佛寺を建立します。

寛元4年(1246)になると、大佛寺は吉祥山永平寺と改称され、自身の号も希玄と改号しました。

 

強化のため鎌倉に向かう

翌年の宝治元年(1247)になると当時の執権・北条時頼や波多野義重から要請を受け強化のため鎌倉へと向かいます。

鎌倉にいたのは半年間と短い間でしたが、その間、武士をはじめとする多くの人々に仏の教えを指導しました。

 

道元の最期

建長4年(1252)頃から体調を崩していた道元は、翌年の建長5年(1253)に永平寺の住職を弟子・孤雲懐奘に譲ると、療養のため京都の俗弟子・覚念の屋敷に向かいましたが、容態は一向に改善を見せず、建長5年(1253)9月29日に54歳で亡くなりました。

死因は癌と推測されています。

名言

名言①
「無益の事を行じて徒いたずらに時を失うなかれ」

道元の著書『正法眼蔵随聞記』に記された言葉です。

無益なことをして時間を無駄に使うことはよくないという意味です。

名言②
「身初心なるを顧かえりみることなかれ」

この名言も自身の著書『正法眼蔵随聞記』に記された言葉です。

いつも初心を忘れることなく、どのような事でも油断をしてはいけない。という意味です。

名言③
「仏道をならうというは自己をならうなり」

『現成公案』に記された名言です。

宗教者は神の立場から出発するのではなく、様々な煩悩に苦しむ自分を見つめなおすことから出発しなければならない。という意味です。

 

まとめ

道元は、日本において天台宗・臨済宗を学び、中国に渡ると天童如浄を師とし帰国後、曹洞宗を広めた人物でした。

帰国後は弟子が多く集まったため、比叡山の天台宗から圧力を受けることとなり、現在の永平寺へと場所を移します。

現在の永平寺は曹洞宗の大本山とされ、今でも永平寺吉祥閣において宗派関係なく参禅研修を希望する人を広く受け入れています。