松下幸之助の名言・格言!仕事・人生などについて紹介

※当サイトは広告を含む場合がございます

パナソニックを一代で築き上げ「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助さん。

今回はそんな松下幸之助さんの名言・格言を紹介していきます。

松下幸之助の【仕事】に関する名言・格言

アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。

 

商売とは、感動を与えることである。

 

迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。

 

万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。その時はじめて新たなる風は必ず吹く。

 

「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。

 

世間には大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とかくこういう人が多い。

 

部下に大いに働いてもらうコツの一つは、部下が働こうとするのを、邪魔しないようにするということだ。師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、師以上の人物になれるかもしれませんね。

 

小利口に儲けることを考えたらあきません。世の中にぼろいことはないから、結局流した汗水の量に比例して、成功するわけですわ。汗もかかずして、成功するということもたまにはありますけど、それはきわめて僥倖な人で、普通はない。

 

誰も争うために商売しているわけではありません。

 

自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。

 

叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。

 

十のサービスを受けたら十一を返す。その余分の一のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。

 

半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。

 

部下の失敗はただ叱れば良いというものではない。失敗を自覚している時には慰めも又必要です。

 

力強さは使命感を持つところから生まれる。

 

すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。

 

なすべきことをなす勇気と、人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです。

 

ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのやそういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。そういうようなことをしてて初めて一人前の商売人になる。だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、小便赤くなったことあるか?

 

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である

 

自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かり物である。

 

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。

 

正当以上の卑屈な努力までする必要はない。

 

人間は本来働きたいもの。働くことをじゃましないことが、一番うまい人の使い方である。

 

人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでも、それに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。

 

知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい、しかし熱意だけは最高でなくてはならない。

 

売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。

 

無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

 

時には常識や知識から開放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか。

 

よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。

 

一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。

 

商売や生産はその商店や製作所を繁栄させることにあらず、その働き、活動によって社会を富ましめるところにその目的がある。

松下幸之助の【人生】に関する名言・格言

人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

 

どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。

 

楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

 

志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。

 

人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。希望を持ちたい。それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。

 

人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。

 

誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。

 

いくら熱心でもムダなことやったらいけませんで。それがムダかどうかは、あなた自身で考えなさい。これはムダなことかどうか、一つひとつ検討しなさい。必ずムダなことをやっているに違いない。

 

とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。

 

人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。

 

自分の仕事は、人の助けなくして、一日も進み得ないのである。

 

いくつになってもわからないものが人生というものである。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。

 

謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。

 

失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。

 

失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。

 

社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。その時に心が動揺するかしないかは、信念の有無で決まる。

 

何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。

 

たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。

 

自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。そこに自分の自信があり、誇りがある。男は男、女は女。牛はモーで馬はヒヒン。繁栄の原理はきわめて素直である。

 

冷静ほど、大事なことはないのである。

 

悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証拠でもある。

 

「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

 

せっかくの99パーセントの貴重な成果も、残りの1パーセントの止(どど)めがしっかりと刺されていなかったら、それは初めからなきに等しい。

 

どんなにいいことを説いても、そのなすところがそれに反していたのでは、十分な説得力は持ち得ない。

 

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。だが何もせずに待つ事は僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力を蓄えている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

 

どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。

 

何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、ハシゴは生まれない。

 

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。

 

昨日の考えは、今日は一新されていなければならないし、今日のやり方は、明日にはもう一変していなければならない。

 

志低ければ、怠惰に流れる。

 

私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというような事は決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。

 

自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい。

 

失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。

 

人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことは、できないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない。