二階堂トクヨとは?生い立ちや経歴、ダンスについて解説!

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二階堂トクヨとは明治から昭和にかけて活躍した日本の教育者です。

15歳で准教員の免許を取得し、教員となった二階堂トクヨは2年間のイギリス留学において、女子体育の必要性を学びました。

帰国後、現在の日本女子体育大学の前身となる「二階堂体操塾」を開き、女子体育を広めていきました。

このような経歴から「女子体育の母」と呼ばれています。

そんな二階堂トクヨの生い立ちと経歴、ダンスについて解説していきます。

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二階堂トクヨの生い立ち

二階堂トクヨは明治13年(1880年)12月5日、父・二階堂保治、母・二階堂キンの長女として宮城県志田郡桑折村(現在の大崎市三本木桑折)で誕生しました。

 

准教員として勤務

文学を愛していた二階堂トクヨは15歳にして准教員の免許を取得し、地元の三本木小学校で准教員として勤務していました。

その後、福島県尋常師範学校と現在のお茶の水女子大学である東京女子師範学校を卒業し、教員となります。

東京女子師範学校の生徒時代は、女子教育に力を注いだ安井テツから指導を受けたとされています。

 

苦手な体操を教える

赴任先となった石川県立高等女学校で二階堂トクヨは国語を教える傍ら、体操も生徒に教えていました。

しかし、二階堂トクヨはもともと体操が得意ではなかったとされています。

苦手な体操を生徒に教えていた二階堂トクヨでしたが、体操の専門学校を卒業していたキリスト教の宣教師ミス・モルガンから手ほどきを受け、体操の重要性を感じ始めました。

石川県立高等女学校に赴任した3年後には高知師範学校に体育教師として赴任することとなります。

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イギリスへ留学

女子体育の必要性を感じ始めた二階堂トクヨはさらに女子体育教育の知識を取り入れるためにイギリスへと留学します。

イギリスへ渡った二階堂トクヨはキングスフィールド体操専門学校で、「身体だけではなく心も鍛え健康な女性を育てる。」ということを学びました。

 

水泳やクリケット、ラクロスやダンスといったスポーツに触れる

キングスフィールド体操専門学校での生活は二階堂トクヨが驚くことばかりでした。

寄宿舎はホテルのように綺麗で、丈夫な身体を作るために食事は1日5回あったとされています。

また動きやすいようにチュニックと呼ばれる制服を着て生活していました。

全てがよりよく運動することができるように工夫されていたのです。

このような環境の中で二階堂トクヨはできるだけ多くの運動を学ぼうと、水泳やクリケット、ラクロスやダンスといったスポーツに触れました。

 

帰国後、母校である東京女子師範学校の教授となる

2年間、イギリスで女子体操教育を深く学んだ二階堂トクヨは大正4年(1915年)日本に帰国すると、一旦は母校である東京女子師範学校の教授となりましたが、「女子体育は女子の手で広めなければいけない」「体育を官学だけに任せておけない」という気持ちから、体操女教師の育成を志すようになります。

 

日本女子体育大学の前身となる「二階堂体操塾」を開く

体操女教師の育成を志し体操塾創立の事業に飛び込んだ二階堂トクヨは、大正11年(1922)私財を投げうって日本女子体育大学の前身となる「二階堂体操塾」を代々木山谷に開きました。

この時、二階堂トクヨは41歳、「女子体育は女らしい優美なものに、母となるべき健康なものに」という思いを胸に「二階堂体操塾」を開いたとされています。

二階堂トクヨが開いた「二階堂体操塾」は体操だけではなく、生理学・衛生学・解剖学・国語・英語・音楽・心理・倫理など幅広い教育が行われていました。

またイギリス留学の経験から、教育と生活の一体化を目指し全寮制を取り入れる、日本製のチュニックを生徒に準備するなど、運動しやすい環境作りを行いました。

 

二階堂トクヨの最期

その後「二階堂体操塾」を開き、女子体育を広めた二階堂トクヨは昭和16年(1941年)60歳で亡くなりました。

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二階堂体操塾の塾生であった人見絹枝

明治から昭和にかけて活躍した陸上競技選手の人見絹枝は二階堂体操塾の塾生であったとされています。

二階堂体操塾を卒業した後、1928年に開催されたアムステルダムオリンピックの800m決勝に出場し見事、銀メダルを手にしました。

これによって人見絹枝は日本人女性初のオリンピックメダリストとなりました。

 

クリケットとホッケーを日本ではじめて紹介

クリケットとホッケーを日本で初めて紹介したのはイギリス留学を行った二階堂トクヨとされています。

 

まとめ

もともと体操嫌いの二階堂トクヨでしたが、体操を指導するうちに女子体育の必要性を感じイギリスへ留学します。

その後、帰国した二階堂トクヨは現在の日本女子体育大学の前身となる「二階堂体操塾」を開き女子体育を広めました。

その功績から「女子体育の母」と呼ばれました。

現在、放送中のNHK大河ドラマ「いだてん」では女優の寺島しのぶさんが二階堂トクヨを演じられています。