世阿弥とは?名言・言葉、風姿花伝などその生涯を解説!

普段からTVなどではなかなか観ることの出来ない日本の古典芸能である能楽(能、狂言のこと)。

皆さんも高校の演劇鑑賞などで観たことがある程度で、どのようなものなのかを正確に理解している一般人は少ないかもしれません。

しかし能楽はユネスコの無形文化遺産に登録、認定されており、室町時代から現代まで歌舞伎よりも遥かに長い約650年もの歴史を持つ伝統文化です。

室町幕府3代将軍足利義満の時代に能を世に出し、「風姿花伝」を残すことによって芸術の域に大成させた人物が今回紹介する世阿弥(ぜあみ)です。

能という芸能をいかにこの世に出し大成させたのかを、世阿弥の遺した言葉や名言、そして生涯を追いかけながら紹介していきたいと思います。

世阿弥の生い立ち

正平18年/貞治2年(1363年)生まれと言われていますが歴史的裏付けはありません。

父の観阿弥(かんあみ)は大和国の興福寺、春日神社やその近隣国の神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座の一員でした。

能は江戸時代までは猿楽(さるがく、申楽とも書く)と言われており、明治以降になってから狂言と共に能楽と総称されるようになりました。

世阿弥が生まれた頃、能は田楽(田植えの神事で伴奏に合わせて踊る芸能文化)よりも低く見られており、恵まれた環境に生まれたわけではなかったようです。

幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)といい、少年時代に摂政関白太政大臣・二条良基(にじょうよしもと)に目を掛けられ保護されていたため、地位が低い当時の能楽師ながら連歌を習い、多くの教養を身につけることが出来ました。

 

将軍・義満に認められ世に出る

1370年代半ばに観阿弥が今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ、京都市東山区)で行った能楽興行に当時12歳であった世阿弥が出演、この舞台を観ていた室町幕府3代将軍・足利義満の目に留まります。

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これ以後、義満は観阿弥、世阿弥親子に肩入れし特別扱いしたため、1378年の祇園絵(ぎおんえ、現代の祇園祭のこと)で世阿弥が義満の見物席に同席したことに公家から多くの批判が集まりました。

1384年、観阿弥が他界すると世阿弥は観世太夫となり跡を継ぐことになります。

1394年に義満が死去、跡を継いだ4代義持の時代に世阿弥は、能の理論書である風姿花伝 (ふうしかでん)を執筆、能をより高い形式美、趣きが深く気高く気品がある「幽玄」を尊ぶ室町時代の気風に合わせる形を求めてより深く能の世界に没頭します。

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ライバルの登場、表舞台から退場

能の世界を極めようとする世阿弥でしたが、4代将軍義持は能よりも田楽を好み、田楽法師・増阿弥(ぞうあみ)を後援し世阿弥を遠ざけるようになりました。

6代義教(よしのり)の治世になると今度は世阿弥の甥にあたる音阿弥(おんあみ、三世観世太夫)が人気を博し、義教もこれを庇護し、世阿弥とその息子・元雅(もとまさ)に圧力をかけ能の世界から放逐しようとします。

世阿弥は1422年に観世太夫の座を元雅に譲り、自身は出家して圧力を避けようとしますが、1429年に仙洞御所(せんとうごしょ、上皇、法皇の住まい)への出入り禁止、1430年には醍醐寺清滝宮(だいごじせいりゅうぐうはいでん、京都市伏見区)の楽頭職解任と、地位や名誉だけではなく興行権も奪われ、収入も失ってしまいました。

都落ちした世阿弥親子は1432年に伊勢国で元雅が死去、世阿弥も1434年に佐渡島へ流罪となります。

その後、世阿弥は京都へ戻ったのちに補厳寺(ふがんじ、奈良県田原本町)に帰依し、嘉吉3年(1443年)にひっそりとこの世を去ったと伝えられています。

 

世阿弥の遺した風姿花伝とは

風姿花伝は全七編で構成されており、そのうち三編は1400年頃に執筆され、残りの四編はそこから20年程度の年月をかけて完成したとされています。

父・観阿弥の教えを基本とし、能の心得や歴史、修行方法や演技演出論などを世阿弥自身の解釈で表した理論書です。

明治42年に歴史学者の吉田東伍(よしだとうご)が学会で発表するまでの長い間は世に出ることがなく、奈良金春宗家に「秘伝書」として伝わるだけのものでした。

こうして世に出た世阿弥の風姿花伝は日本最古の能楽論、演劇論の本であり、外国語にも翻訳されて海外でもその研究が行われています。

世阿弥の名言、遺した言葉

世阿弥は生涯で50曲近い作品を作り上げ、その中には平家物語の敦盛や八島、「高砂や この浦舟に 帆を上げて …」と結婚式の披露宴でも唄われる高砂などがあります。

また書き記した書物は前述の風姿花伝を始め、花鏡や五位、佐渡島に流罪になったときに記した金島書など21種とされており、その中に現在でも使われる名言が遺されています。

名言①
初心忘るべからず

誰でもが一度は耳にしたことのある言葉だと思いますが、現在の使われ方や意味は「初めに立てた志を忘れてはならない」となっています。

しかし世阿弥の解釈では「ぜひ初心忘るべからず」「時々の初心忘るべからず」「老後の初心忘るべからず」となっており、若いときの初心を忘れない、人生その時々の初心も忘れない、老境に入っても初心を忘れない、すなわち人は年を重ねる度に今まで経験したことのない出来事に挑戦していかなければなりません。

そのときに持つ心構えや覚悟を初心と言い、これがあるからこそ人は、人生の次々と起こる出来事を乗り越えていけると言っているのです。

名言②
稽古は強かれ、情識はなかれ

稽古も舞台も厳しく勤め上げ、決して傲慢になってはならないという意味です。

世阿弥はこの言葉を何度も繰り返し著作の中に書き記しており、常に謙虚な気持ちで精進し、上を目指し努力し続けることが大切だと説いています。

慢心は人を堕落させ、停滞を招きます。

芸とは人生をかけて完成させる覚悟がなければならないとも世阿弥は言っています。

 

さいごに

能楽の大成に生涯をかけた世阿弥は、時の権力者に翻弄されながらも能楽を見事に芸術の域まで到達させ、後世に数多くの作品や教えを遺しました。

世阿弥は能楽とは生涯をかけても完成しない奥の深い舞台芸術と考えていたようで、その時代の流行や考え方を取り入れながら進化していくものと見ていました。

それが室町時代では幽玄であり、そこで完成されたのが夢幻能だったのです。

室町時代に世阿弥が登場したことによって猿楽は、大衆芸能から日本を代表する古典芸能・能楽へと変貌し不変の評価を得るようになったのです。