藤田行政(藤田伝吾)とは?生い立ちや経歴、明智光秀との関係性について解説!

藤田行政は明智光秀の家臣のうちの1人です。

いつどこで誕生したのかは分かっていませんが、明智光秀の父・明智光綱の代から明智家に仕えていたと考えられています。

明智光秀による謀反、本能寺の変の際も明智光秀と行動を共にしていたとされていますが、その後の山崎の戦いで自害し亡くなりました。

そんな藤田行政の生い立ちや経歴、明智光秀との関係性について解説いたします。

 

藤田行政(藤田伝吾)の生い立ち

藤田行政、通称「藤田伝吾」は明智光秀の重臣であった人物で、明智光秀が最も信頼していた明智五宿老と呼ばれる5人の家臣の1人であったとされています。

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明智五宿老とは

明智五宿老とは明智光秀が最も信頼していた5人の家臣たちのことを指す言葉です。

明智五宿老は藤田行政の他に、明智光秀の叔父・明智光安の次男である明智秀満、明智光秀の叔父・明智光久の子である明智光忠、斎藤道三の娘と結婚した斎藤利三、そして溝尾茂朝があげられます。

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明智光秀に仕える

明智光秀の家臣であった藤田行政ですが、その生い立ちは謎に包まれています。

藤田行政がいつどこで誕生したのかは分かっていませんが、明智光秀の父・明智光綱の代から明智家に仕えていたとされています。

明智光秀が織田信長に対し謀反を起こす前から明智光秀に仕えていたとされ、明智光秀とともにいくつもの戦に参加していました。

 

静原山城主となる

現在の京都府京都市左京区静市静原町城山に築かれていた静原山城は弘治元年、三好長慶によって築かれたとされています。

しかし、永禄11年(1568年)三好氏は上洛した織田信長によって京都から追放されます。

その後、小倉山城主山本対馬守が元亀4年(1573年)小倉山城を離れ静原山城を居城としましたが、明智光秀に攻められ落城、その後、明智光秀の重臣である藤田行政が静原山城主となりました。

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本能寺の変

織田信長の家臣となった明智光秀ですが、天正10年(1582年)6月、主君である織田信長に対し謀反を起こします。

これが本能寺の変と呼ばれる出来事ですが、なぜ明智光秀が織田信長に対し謀反を起こしたのかは未だ分かっていません。

明智光秀は織田信長に対し謀反を起こすと決意した時、重臣である藤田行政の他に、明智秀満、斎藤利三にいち早くその決意を打ち明けたとされています。

謀反当日の天正10年(1582年)6月2日、京都にいた藤田行政は明智光秀の叔父・明智光久の息子である明智光忠と明智光秀の家臣の1人である溝尾茂朝とともに4000人を率いて出陣したとされています。

織田信長が討たれた本能寺の変後、藤田行政は大和郡山城の城主である織田方の筒井順慶を明智方につくよう説得しますが、筒井順慶は説得に応じることはありませんでした。

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山崎の戦い

天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変で織田信長が討たれたことを知った織田方の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が備中高松城の攻城戦から京都に引き返してきました。

織田信長亡き後、京都の治安維持を行ってた明智光秀は羽柴秀吉が引き返してくることを知ると、急いで戦の準備を始めますが、羽柴秀吉軍の進軍に対し十分な態勢を取れずに戦いに挑むこととなります。

6月13日、現在の京都府長岡京市乙訓郡大山崎町に位置する山崎において織田信長を討った明智軍と、備中高松から引き返してきた羽柴軍の衝突が始まります。

この戦いは山崎の戦いと呼ばれ、藤田行政は明智軍右翼隊を率い戦いに挑みました。

戦いにおいて藤田行政は体6か所に負傷を負ったとされ山崎から淀まで退却します。

しかし、翌日の6月14日、明智光秀のいた勝龍寺城は羽柴軍によって攻められ落城となります。

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藤田行政の最期

明智光秀は落城前に勝龍寺城から密かに脱出し、居城である坂本城へと向かいましたが、その道中、落ち武者狩りにあい亡くなったとされています。

勝龍寺城の落城を知った藤田行政は天正10年6月14日、自害し亡くなりました。

 

まとめ

藤田行政は明智光秀の重臣となった人物で、明智光秀が最も信頼していた家臣団・明智五宿老のうちの1人とされています。

明智光秀が織田信長に謀反を起こした際も行動を共にしていたとされていますが、その後の山崎の戦いで勝龍寺城が落城したことを知ると自害し、亡くなりました。

現在放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」に登場しており、俳優の徳重聡さんが藤田行政を演じられています。