金栗四三の妻・春野スヤとは?大河ドラマ「いだてん」での役は綾瀬はるか!

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オリンピックマラソンで日本人初の代表選手・金栗四三(かなくりしそう)は2020年の東京オリンピック開催のシンボル的な人物として取り上げられ、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の前半期の主役にも抜擢されました。

金栗四三がストックホルム五輪に出場したのが22歳の時、その翌年に四三は春野スヤという女性と結婚し、その後はマラソン選手、そして指導者としての道を歩みます。

金栗四三の競技生活、指導者としての活動を影から支え続けた四三の妻、大河ドラマでは綾瀬はるかさんがキャスティングされることになった春野スヤ(はるのすや)の人生を取り上げたいと思います。

養子縁組の話が四三とスヤの出会いのきっかけ

明治45年(1912年)初参加したストックホルムオリンピックから帰国した金栗四三は、次の第6回ベルリンオリンピックを目指して東京高等師範学校に復学し、勉強にマラソンのトレーニングにと精力的に活動し、またこの頃から後輩へのコーチングも始めました。

翌年の大正2年(1913年)、実家の長兄・金栗実次(かなくりさねつぐ)から養子縁組の話が金栗四三のもとへ持ち込まれます。

実次、四三兄弟の叔母に当たる池部幾江(いけべいくえ)から跡取りのいない池部家を継いで欲しいというものでした。

幾江が嫁いだ池部家は熊本県田名郡小田村では有数の大地主で、働かなくても食べていけるほどの大資産家でした。

 

養子の申し出

この池部家の当主に嫁いだ幾江は跡取りもなく、夫にも先立たれ、このままでは池部家が跡絶えてしまうことを危惧して、自分の血縁に当たる四三を跡取りにしようと考えます。

この話を聞いた実次は当初、四三を養子に出すことは反対だったのですが、叔母が執拗に申し入れてくるため四三が承諾するならばという条件付きでこの話を受けました。

東京でこの話を聞いた四三はベルリンオリンピックの練習に支障がでなければ特に問題はないと考え、熊本には帰らず東京にいることを条件に、養子縁組を受けることにしました。

四三の返事を聞いた幾江はついでに嫁も探して結婚させようと考え、その幾江のおめがねに叶ったのが春野スヤでした。

 

結婚、そしてあり得ない新婚生活

四三が養子に入ってくれて、そのうえ結婚してくれれば池部家はこれから先も安泰と考えた幾江は、色々な候補者が上がる中、同じ田名郡の医師の娘・春野スヤを選び出します。

春野スヤは四三より一歳下で、四三のマラソンにかける情熱も理解しているしっかり者でした。

幾江から春野スヤを紹介された実次は、四三に会わせる前だと言うのに、スヤのことを大変気に入ってしまい、すぐに戻ってきて見合いをするように勧めます。

まだ師範学校在学の学生の身で、しかもオリンピックでの好成績を狙う四三は今すぐでの養子縁組と見合いは断り、卒業後ならと返事をします。

 

出会ってすぐに結婚を決める

大正3年(1914)3月、四三は無事に東京高等師範学校を卒業、愛知一中への赴任要請を断り東京高等師範学校研究科へ進学し、マラソン一筋の生活を選択します。

約束通り、卒業後に故郷熊本に帰った四三は初対面のスヤとお見合いをし、なんとその翌日には結婚式を挙げてしまいます。

大正初期の旧き時代で叔母や兄が決めた相手とはいえ、たった一度の見合いだけで結婚してしまうとは、お互いに何か引かれるものがあったのでしょうか。

その上、四三は結婚式からわずか五日後に新妻スヤを熊本に残し、単身で東京へ戻ってマラソンのトレーニングを開始しました。

この時から五年間、二人はずっと別居生活を続けることになります。

オリンピック出場を影で支える妻・スヤ

東京と熊本で離れて暮らす金栗夫妻は、スヤが東京に通うことで夫妻の絆を確認しました。

四三が目指した1916年のベルリンオリンピックは第一次世界大戦により中止され、四三は悔し涙を流すことになりましたが、次のアントワープオリンピックに目標を切り替え、マラソンの練習を続けます。

このアントワープオリンピックへの出場が決まり東京から出発する直前、スヤは上京して準備を手伝おうとしますが、四三は「故郷も君のこともすべて忘れて、祖国のために走ろうと思っているのだ。ジャマをしないでくれ」と言ってスヤを追い返してしまいます。

アントワープオリンピックでは16位の成績に終わり、帰国後、東京女子師範学校に勤務しスヤを東京へ呼び寄せ、五年に及ぶ別居に終止符を打ちました。

1924年のパリオリンピックに出場した四三は途中棄権に終わり、これを最後に競技生活から引退しました。

 

スヤの真意、それは四三に走り続けてもらうこと

第一線から退いた金栗四三は後進の指導に当たりましたが、昭和5年に長年に渡って四三を支えてくれた兄・実次が死去、これを契機に四三とスヤは熊本へ帰り、池部家へ戻って幾江とともに生活を始めます。

故郷に戻った金栗四三のもとには、全国各地の数多くの学校からの校長就任の要請が集まりますが、ここまで親孝行することもなかったのにずっと支援を続けてくれた幾江のそばにいるために四三とスヤ夫婦は熊本に根を下ろそうと考えます。

 

マラソン一筋で生きるよう説得

そんなとき、四三が知人に梨園の経営を勧められ、その気になってスヤにこの話をすると、烈火のごとく怒ったスヤに「梨園の経営とは何事ですか。あなたはマラソン一筋に生きることが自分の人生ではなかったのですか?」と言われたことで知人の勧めを断り、熊本でのマラソンや陸上競技の普及、後進の育成に全精力を傾けたのでした。

1940年の幻となった東京オリンピックの開催が決まったとき、嘉納治五郎に上京を要請された四三にスヤは「子供の学校のことなどで私はすぐに着いていくことはできませんが、あなた一人先に上京して先生のお手伝いをしてください。子供のことはなんの心配もありませんから」と快く送り出しました。

なお、二人の間には6人子供がいました。

大河ドラマでは綾瀬はるかさんが演じます。

「いだてん~東京オリムピック噺~」では、金栗四三を中村勘九郎さん、妻のスヤを綾瀬はるかさんが夫婦役を演じます。

綾瀬はるかさんは1985年生まれの33歳、愛くるしい笑顔と共演者全てを笑いの渦に巻き込む天然キャラを持つと言われている大人気の女優さんです。

ドラマ、映画で数多くの主演をこなし、「海街dairy」で日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、NHK大河ドラマは2013年の「八重の桜」で主役の新島八重を演じて以来になります。

今回演じる春野スヤは内に秘めた情熱と強さと頑固さがあり、本音でつきあわないと気がすまない、かけひきや遊びが苦手な面があるといわれる火の国熊本生まれの女性です。

広島県生まれの綾瀬はるかさんがどのようなイメージの春野スヤを作り上げるのか非常に楽しみです。

 

支えるだけじゃなく、同じく夢を見続けた妻

見合いした翌日に祝言を上げて夫婦となり、そこから夫は東京へ単身赴任、約5年間スヤは東京への通い妻で四三を支えます。

四三はオリンピック出場とシューズの開発に全精力を傾け、ひたすら走り続け、引退して第一線を退いたあとに一度マラソンから離れようとしますが、スヤの叱咤激励によってマラソンの普及と後身の指導に尽力し、日本のスポーツの発展に貢献します。

日本最初のマラソンランナー金栗四三にとって妻の春野スヤは彼の人生でもっとも必要な伴走者だったようです。