岩倉具視の子孫と家系図を解説!あの有名芸能人の加山雄三も?

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岩倉具視といえば徳川幕府末期から明治維新にかけて倒幕と新政府樹立、新政府の政策実施に功績を残した公卿、政治家です。今は発行されていませんが、1994年まで支払いが継続されていた500円札の肖像画に採用されていた人物でもあります。

この岩倉具視の子孫には、芸能界をはじめ、色々な分野で活躍している有名な人物がいますが、その筆頭が芸能人の加山雄三さんです。

今回は岩倉具視の子孫や家系図にスポットライトを当ててみました。

岩倉具視とは?

公卿・堀河康親(ほりかわやすちか)の次男として生まれ、岩倉家へ養子として入った岩倉具視は徐々に朝廷で頭角を現し、天皇の意向に影響を与える地位まで昇りますがその後失脚、5年間の謹慎の後復帰して、徳川幕府の武力討伐や王政復古の大号令など明治新政府の樹立に貢献し、新政府では実質的な首班として多くの政策を実現させました。

これらの表舞台の活躍だけでなく、討幕の密勅を偽造、孝明天皇暗殺など真偽は不明ですが黒幕は岩倉具視と噂されるほどの策士としても有名です。

表舞台でも裏舞台でも活躍した岩倉具視は死後、朝廷から最高位である正一位を贈られ、日本で初の国葬が執り行われています。

 

岩倉具視の家系図と子孫

岩倉具視の子孫は芸能人だけでなく、政界、財界を始め、大学の教授など多彩な人材を輩出していますが、その中でも特に著名な方を紹介していきます。

 

加山雄三

映画「若大将シリーズ」(東宝で1961年~1971年の間に17作品が作られました。)の主演で「君といつまでも」「お嫁においで」などのヒット曲を唄う加山雄三さんは岩倉具視の子孫として挙げられる代表的な人物です。

岩倉具視の玄孫(げんそん、やしゃご、4親等の直系親族)に当たります。

 

有馬頼寧(ありまよりやす)

農林大臣、JRA(日本中央競馬会)理事長。

名前を聞いてもピンと来ない方も多いでしょうが、名前の漢字と略歴を見るとおわかりになる方もいると思います。

日本競馬で最大の規模を誇るレース・有馬記念に名前を残した第2代理事長で、競馬だけでなく日本プロ野球や日本卓球協会に多くの功績を残しています。

母親・恒子(後に寛子)さんが岩倉具視の五女で、有馬頼寧さんは外孫ということになります。

 

喜多嶋舞(きたじままい)

女優、タレント、歌手。

喜多嶋舞さんは、1986年に中学生でデビューすると、母・内藤洋子さん、父・喜多嶋修さんから受け継いだ才能もあって、女優やタレントとして成功し、多くの映画やドラマに出演しました。

1996年に結婚した元光GENJIの大沢樹生との間に生まれた子供のDNA 鑑定騒ぎで2015年、芸能界を引退しています。

喜多嶋舞さんの祖母は加山雄三の母親の妹、すなわち岩倉具視の曾孫に当たる人物で、岩倉具視から見ると喜多嶋舞は来孫(5等親の直系親族)ということになります。

 

松本与(まつもとあとう)

ファッションデザイナー。

こちらも名前を聞かれてもピンと来ない方が多いと思われますが、松本与さんは南青山にショップを構える“ato”のオーナーデザイナーで、国内だけでなく海外からも評価を受けているデザイナーです。

この松本与さんの奥様が癒し系美人タレントの井川遥さんです。

井川遥さんはサントリーウィスキー角瓶のテレビCMで再ブレークしましたが、もともと1999年にキャンペーンガール,グラビアアイドルで芸能界デビューし、その後も映画やテレビドラマで活躍しました。2006年に松本与さんと結婚し、二人の間には一男一女の子供がいます。

奥様が井川遥さんと言うだけで羨ましい限りですが、松本与さんの祖父は音響機器メーカー・パイオニアの創業者である松本望(まつもとのぞむ)さんで、父親の松本冠也(まつもとかんや)さんもパイオニアの会長職を勤めています。

ところで本題の岩倉具視との関係ですが、松本与さんの母親・松本美和子(まつもとみわこ)さんの4代祖が岩倉具視に当たります。

ただ、美和子さんの家系は岩倉具視に繋がるだけでなく、父親は徳川家康の孫・松平直良に繋がる家柄、祖母は西郷隆盛の弟であり海軍元帥でもある西郷従道の娘という歴史好きにはたまらない家柄が名を列ねる家系なのです。

 

さいごに

岩倉具視がこの世を去ってから140年足らずですが、その血は今も多くの分野で活躍する人材を輩出しています。

岩倉具視に限らず歴史に名を残した人物の血は今も脈々と我々のからだの中を流れているのですね。

一度、あなたも自分の血の歴史を辿ってみたらいかがでしょうか?新しい発見が待っているかもしれません。