2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」に登場する金栗実次は実在する人物です。
日本初のオリンピック選手であり箱根駅伝の創設に尽力し、日本マラソンの父と呼ばれた金栗四三の実の兄で、オリンピック代表に選ばれた弟・金栗四三を支えました。
そんな金栗実次の生涯や逸話、金栗四三との関係性について解説していきます。
金栗実次の生い立ち
金栗実次は現在の玉名郡和水町である熊本県玉名郡春富村で父・信彦、母・シエの子供として誕生しました。
8人兄妹であったとされ、弟には後に日本で初めてのオリンピック選手となる金栗四三がいます。
実次ら兄弟の父親である金栗信彦は、弟の金栗四三が玉名中学校へ進学する直前に胃がんによって亡くなってしまったため、当時、役場で働いていた金栗実次が一家の大黒柱となりました。
もともと、金栗家は農業を営んでいる家庭でした。
そのため、父・金栗信彦は弟の金栗四三に農家を継がせようとしていたとされています。
しかし、弟・四三は成績優秀であったため、金栗実次は必死に父・金栗信彦を説得し、弟・四三を玉名中学校へと進学させたのでした。
そんな兄・金栗実次が父を説得したおかげで、弟・金栗四三は中学校において非常に優秀な成績を治め、中学卒業後、東京にある東京高等師範学校(現在の筑波大学)へと進学することとなりました。
金栗四三にとって、兄・金栗実次は父親のような存在となっていたのです。
弟・金栗四三が日本初のオリンピック選手となる
金栗実次のおかげで明治43年(1910)4月、東京高等師範学校・地理歴史科に入学した弟・金栗四三は、この学校生活の中でマラソンの才能を開花させ、当時の学校長である嘉納治五郎に激賞されます。
2年生になった頃には徒歩部(陸上部)に入部し、その後、明治45年(1912)開催されるストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、世界記録を打ち出すと、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手として選ばれることとなりました。
弟・金栗四三の渡航費を負担
弟・金栗四三がオリンピック選手に選ばれましたが、当時日本ではまだスポーツに理解を示しておらず、国からの補助金などはありませんでした。
つまり、オリンピック選手となったものの開催地であるストックホルムまで自費で行かなければいけないということです。
ストックホルムまでの渡航費は1800円(現在に価値にすると約480万円)であったとされ、この時、金栗四三はまだ学生であり、そのような資金などあるはずがありません。
そこで、金栗四三は兄・金栗実次に相談すると、金栗実次は弟がオリンピック選手に選ばれたことを大変喜び、ストックホルムまでの渡航費は田畑を売ってまでも自らが払うと約束しました。
しかし、この話を聞きつけた東京高等師範学校の寄宿舎の舎監・福田源蔵はストックホルムまでの渡航費の募金を募り始め、瞬く間に1500円の募金が集まります。
これによって金栗実次はストックホルムまでの渡航費1800円のうち、300円を負担することとなりました。
こうして弟・金栗四三はストックホルムに無事到着し、明治45年(1912)ストックホルムオリンピックマラソン大会に出場しましたが、レース途中、熱中症に倒れ棄権するといった残念な結果に終わりました。
弟・金栗四三の徴兵検査
帰国した弟・金栗四三は大正5年(1916)ベルリンオリンピックのメダル候補として期待されます。
しかしこのオリンピックは第一次世界大戦が勃発し、開催中止となったため参加することはできませんでした。
第一次世界大戦勃発に伴い、弟・金栗四三は故郷の熊本で徴兵検査を受けることとなります。
これまでマラソン選手としてオリンピックに出場した経歴を持ち、健康的な肉体を持つ金栗四三ならば、徴兵検査は合格になるはずでした。
しかし、なぜか健康な体を持つ金森四三は不合格となったのです。
そこには兄・金栗実次の働きがあったとされています。
金栗実次は役場勤めであったため陸軍関係者に根回しができたのです。
こうした金栗実次の根回しのおかげで、弟・金栗四三は徴兵を免れることとなりました。
このように金栗実次は、オリンピック選手となった弟・金栗四三を生涯支え続け、昭和5年(1930)の夏、急性肺炎で亡くなりました。
まとめ
金栗実次はオリンピック選手となった弟・金栗四三を支え続けた人物でした。
2019年に放送される大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」では金栗実次を中村獅童さん、金栗四三を中村勘九郎さんが演じられます。