空海(弘法大師)とは?最澄との違いや高野山との関係、名言などを解説!

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日本は古くから鎮護国家という思想の元、仏神が広く定着していて現代人も日ごろは意識していなくても、80%以上の日本人が広義で仏教徒とされています。

そんな日本では現在、13宗が伝統仏教として認可されており、中でも天台宗・真言宗は平安2宗とされ多くの信徒を抱える宗派です。

その真言宗を開いたのが空海(弘法大師)(くうかい・こうぼうだいし)で、本山とされているのが有名な高野山ですが、真言宗の本山には五重の塔で有名な東寺も本山とされており、その辺りの気になる関係性などを探ってみました。

また天台宗・最澄(さいちょう)とよく比較されますが、空海と最澄の関係や違いはどういったものだったのか、空海の生涯を追いながら名言なども交えて紹介していきます。

生い立ちから青年期

空海は宝亀5年(774年)讃岐国多度郡(香川県善通寺市)の郡司である地方豪族・讃岐佐伯氏の家に生まれました。

延暦7年(788年)~延暦8年(789年)空海は平城京に上洛し、15歳で母方の祖父についてさまざまな学問を学びます。

18歳になり空海は大学寮に入り官吏となる為の学問を修めます。

しかし学問だけでは飽き足らず、20歳前には山林に入り修行を開始し仏教に転じ、24歳の頃に仏教に進む事に反対する親族への決意表明とされる「聾瞽指帰」(ろうこしいき)なる出家宣言書を書きました。

空海のこの辺りから唐へ渡るまでの間は、不明瞭な資料しかなくあまり多くはわかっていません。

また、得度(僧侶となる儀式)の時期もいくつかの説があり確定していません。

 

空海誕生

空海は山林修行の時期に阿波や土佐などを巡り、室戸岬の御厨人窟(みくろど)という所で修行をしていて口に明星が飛び込んできたと「三教指帰」(さんごうしき)に著しました。

またこのことで空海は悟りを開いたと言われ、その洞窟で空海の目には空と海しか見えず自身の名を「空海」としたとされています。

 

唐へ渡り密教を学び帰国

延暦23年(804年)31歳の時に、最澄などの高僧に伴い無名の長期留学僧として唐へ渡りました。

本来20年の留学期間でしたが青竜寺の恵果阿闍梨(えかあじゃり)のもとで密教を伝授され、わずかな期間でそれを修得します。

諸地をめぐり文献や法具をたずさえ結局、2年程で全てを修得して帰国しました。

しかし本来の留学期間を破っての帰国は罪となり、空海は帰国後2年ほど筑後の観世音寺にとどまり入京を待つこととなったのです。

最澄との関係

大同4年(809年)嵯峨天皇(さがてんおう)が即位し、最澄などの協力もあり空海は入京、高雄山寺を本拠に真言密教の布教を開始します。

この最澄との関係ですが、最澄は空海よりも位も高く天台宗の開祖ではありますが、空海が入京して10年ほどは密教において空海に弟子入りし、お互いに良好な関係を築いていきます。

しかし最澄からの密教の経典の借覧要請を空海が拒絶、最澄の弟子が空海に弟子入りなどがあり最終的には反目する間柄となりました。

 

高野山・東寺と真言密教の総本山を築き上げる

弘仁7 (816年)空海43歳のとき、国家のためにも高野山を修行の場としたいと嵯峨天皇に上奏し下賜され、金剛峰寺を建立します。こうして高野山は、天台宗の比叡山と並ぶ山岳仏教の拠点となりました。

空海49歳の時に別当として讃岐に派遣され、四国讃岐の満濃池を修築し農民のために尽力します。

その翌年、京都の東寺も嵯峨天皇より給預されたので、東寺を京都における真言密教の根本道場と定め、空海は真言密教の布教と後進の育成に力を注ぎました。

空海55歳の時には東寺の東隣に日本最初の庶民教育の学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設、尚この施設は空海死後10年足らずで弟子たちの協議の末売却され無くなってしまいます。

その後、空海は、承和2(835年)3月21日に高野山にて61歳で入滅しました。

 

弘法大師

延喜21年(921年)空海入滅後、東寺長者・観賢(かんげん)の奏上により、醍醐天皇(だいごてんのう)から「弘法大師」(こうぼうだいし)の諡号(しごう)が贈られました。

最澄との違い

空海と最澄との違いは唐へ行く時点での身分の違いがあります。そして最も大きな違いは唐で学んだ教義の違いです。

最澄はすでに国の行く末を案じている桓武天皇(かんむてんのう)の信頼を得た高僧でした。一方空海は、出自は地方貴族でも僧としては無名でした。

最澄は唐で奈良仏教を論破する為に顕教である天台宗を学び、自身の学びたい密教を習得したい空海は唐で尊敬する師匠から、当時最先端の密教を学んだのです。

 

最澄・天台宗

法華経を中心として、密教、 禅 、浄土など総合的に仏教を学ぶもので、延暦寺で修業を積めばどこかにたどり着けるとされている顕教というものです。

 

空海・真言宗

全ては「空=万物」の中心に大日如来を感じ悟りを開く為に、修行を積み各地を巡り加持祈祷で人々を救うとされていて、発想の中心が神秘的で奥深く習得するだけでは悟れないあたりが密教とされています。

 

空海と高野山

空海・弘法大師と言えば高野山・金剛峰寺というイメージが定着しています。そもそも高野山とはどういうものなのでしょうか。

そして、高野山は空海が開祖となっている真言宗の本山とされていますが、調べると本山はいくつか存在しています。それはどういう理由なのでしょうか。

真言宗には開祖である空海からいくつかの宗派が分かれており18本山も存在します。

それぞれに本山が存在するのですが、高野山・金剛峰寺と京都・東寺は「空海=お大師様が開いた」総本山となります。

 

金剛峯寺

金剛峯寺は、弘仁7年(816年)に空海が嵯峨天皇に高野山を下賜され、寺院建立を願い出て興した寺です。

 

東寺

東寺は延暦13年(794年)に平安遷都に伴って建てられた寺院で、嵯峨天皇が空海に東寺を与えたことから真言密教の総本山としました。

 

名言

空海の教え、言葉は沢山存在します。その中から有名なものをいくつか紹介します。

 

名言①

名言①
虚往実帰

訓読=虚しく往きて実ちて帰る

意味
行きは空っぽの状態で行き、行った先で素晴らしい師より最高の教えを受け、満ち足りて帰るという

空海が唐へ渡り素晴らしい師に出会えて帰国した時の大変有名な言葉です。

 

名言②

名言②
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く。死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し
意味
人間はなぜ生まれてくるのか、どうして死んで逝くのか、何度生まれ変わりを繰り返してもその意味をしることができない。

輪廻転生、生きる意味、死ぬ意味を考えた空海の「秘蔵空論」からの一節です。

 

名言③

名言③
知らず自心の天・獄たることを、あに悟らんや唯心の禍災を除くことを
意味
人は知らず知らずに自分の幸せ(天国)も不幸(地獄)も決めている。そのことを分からないと心の災いを取ることはできない