渋沢栄一の妻・尾高千代と後妻・伊藤兼子とは?生い立ちや経歴、子孫について解説!

尾高千代とは渋沢栄一の最初の妻、伊藤兼子は後妻となった人物です。

尾高千代は14歳で、当時19歳であった渋沢栄一と結婚しました。

しかし、結婚後すぐ渋沢栄一は尊王攘夷思想に染まり家をでたため、平穏な新婚生活を送ることはできなかったとされています。

2021年には大河ドラマ「青天を衝け」に登場することが予想されています。

そんな尾高千代の生い立ちや経歴、子孫や伊藤兼子について解説いたします。

尾高千代の生い立ち

天保12年(1841年)尾高千代は武蔵国榛沢郡下手計村(現在の埼玉県深谷市下手計)で名主である尾高勝五郎保孝と母・やへの娘として誕生しました。

兄に後に実業家として富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人となる尾高惇忠、尾高長七郎がおり、姉のみち子、弟・尾高平九郎がいました。

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渋沢栄一と結婚

尾高千代がどのような幼少期を過ごしていたのかは分かっていませんが、安政5年(1858)12月、14歳であった尾高千代は当時、19歳であった渋沢栄一と結婚しました。

尾高千代、尾高惇忠らの母・やえは渋沢栄一の父・渋沢元助の姉であったため、尾高千代と渋沢栄一はいとこ同士の結婚ということとなります。

尾高千代の兄・尾高惇忠は幼少の時から学問に秀でており、自宅に私塾「尾高塾」を開いていました。

主に漢籍を教えていたとされています。

妹の尾高千代と結婚した渋沢栄一は「尾高塾」の生徒のうちの1人でした。

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長くは続かなかった結婚生活

渋沢栄一と結婚した3年後の文久元年(1861年)頃、渋沢栄一は千葉栄次郎の道場に入門し、千葉栄次郎から剣術を学ぶようになりました。

剣術を学ぶことで、勤皇志士と交流が増えた渋沢栄一は勤皇志士から影響を受け、文久3年(1863年)頃から尊王攘夷思想に目覚めます。

尊王攘夷思想に目覚めた渋沢栄一は長州とともに倒幕の計画をたてますが、尾高千代の兄・尾高長七郎から説得を受け、倒幕運動を中止するのでした。

渋沢栄一は尊王攘夷思想に目覚めるとすぐに家を出ており、尾高千代は平穏な新婚生活を送ることはできなかったとされています。

尾高千代に送った手紙

尊王攘夷思想に染まり家を出た渋沢栄一はその後、幕臣となり、パリで行われた万国博覧会に出席するため慶応3年(1867年)フランスに渡ります。

翌年の明治元年(1868)11年には帰国しますが、その間、尾高千代や子供たちと離れ過ごしていた渋沢栄一は、尾高千代に「かねてこなた心は承知の通りにて、たとえ十年が二十年とても相かわりなき赤心、ただただ憐れむべきはそなた事に候えども…」「相わかれ候よりは一度も婦人くるい等も致さず全くくにの事のみしんぱいいたしおり申し候あいだ…」といった手紙を送っていました。

 

尾高千代の最期

尾高千代と渋沢栄一の夫婦仲が分かるようなエピソードは余り残されていません。

尾高千代は明治15年(1882)当時流行していたコレラを患い、7月14日、42歳で亡くなりました。

 

渋沢栄一は伊藤兼子と再婚

妻・尾高千代がコレラで亡くなると、渋沢栄一は翌年、武蔵国川越の大富豪である伊藤八兵衛の次女・伊藤兼子と再婚します。

伊藤兼子の父・伊藤八兵衛は油会所を設立し、江戸一の大富限者と呼ばれるほど、成功を収めていました。

大富豪の娘であった伊藤兼子は渋沢栄一と結婚する前、婿養子をとり実家を継いでいました。

しかし、アメリカ商人ウォルシュ・ホール商会と共同事業が失敗し、実家は没落、伊藤兼子は夫と離縁することとなります。

その後、伊藤兼子は芸者になるため口入れ屋に足を運びます。

そこで、妻・尾高千代を亡くし独り身となっていた渋沢栄一を紹介され、伊藤兼子は渋沢栄一と再婚することとなったのでした。

その後、後妻となった伊藤兼子と渋沢栄一との間には、武之助、正雄、愛子、秀雄が誕生しました。

渋沢栄一、尾高千代の子孫

尾高千代と渋沢栄一の間には3人の子供が誕生しました。

 

長女・歌子

文久2年(1863年)長女・歌子が誕生します。

歌子は法学者の穂積陳重と結婚しました。

歌子と穂積陳重の間には6人の子供がおり、長男・穂積重遠は法学者、最高裁判事、四男・穂積真六郎は朝鮮総督府殖産局長、朝鮮商工会議所会頭、参議院議員となりました。

 

次女・琴子

明治2年(1870年)次女・琴子が誕生しました。

後に琴子は大蔵大臣、龍門社理事長となった阪谷芳郎と結婚します。

琴子と阪谷芳郎の間には7人の子供がおり、長男・阪谷希一は満州国総務庁次長、中国聯合準備銀行顧問となりました。

 

長男・篤二

明治4年(1872年)、長男・篤二が誕生しました。

篤二が10歳の頃に母・尾高千代は亡くなります。

その後、父の渋沢栄一は伊藤兼子と再婚したため、篤二は自身の姉・歌子とその夫・穂積陳重に育てられました。

23歳の時に橋本実梁の娘・敦子と結婚し、その後、渋沢倉庫が設立されると初代支配人に就任します。

渋沢栄一の長男であったため渋沢家の跡取りとなりますが、廃嫡となり篤二の長男である渋沢敬三が渋沢栄一の跡取りとなりました。

なぜ渋沢篤二が廃嫡となったのかは分かっていませんが、廃嫡されると妻・淳子や子供たちとは別居するようになります。

篤二の長男・渋沢敬三は渋沢栄一の後継者、次男・渋沢信雄は澁澤倉庫の監査役、三男・渋沢智雄は澁澤倉庫常務となりました。

 

まとめ

渋沢栄一の妻・尾高千代の生い立ちや経歴について解説いたしました。

渋沢栄一との夫婦仲が分かるようなエピソードは残念ながらあまり残されていません。

渋沢栄一の妻・尾高千代は2021年に放送予定の大河ドラマ「青天を衝け」にヒロインとして登場することが予想されています。