千利休とは?名言や茶室、切腹した理由などを解説!

戦国時代から安土桃山時代にかけて豊臣秀吉お抱えの茶人として有名な「千利休」

「茶」を文化へと昇華させた彼の最期は、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹により幕を閉じることでも知られています。

今回は千利休の生涯を追い、なぜ彼が切腹に追い込まれたのかみていきます。また、千利休の作成した茶室の特徴、現在にも残された名言もご紹介します。

千利休の生涯

生い立ち

千利休は安土桃山時代の茶人であり、本姓は田中、千は通称です(ただし子孫はこれを本姓としました)。また利休は号です。

与兵衛の子として堺(現在の大阪府)今市町に生まれましたが、茶の湯を好み、初め北向道陳、ついで武野紹鴎に師事しました。

 

織田信長・豊臣秀吉との出会い

1568年(永禄11)織田信長が上洛し、堺に矢銭2万貫を課した際、和平派として信長に近づいた今井宗久、津田宗及と親しく、永禄末年から元亀・天正初年の間に、ともに信長の「茶頭」(茶の湯のことにあたった者の意味)となりました。

信長横死後は秀吉に仕えましたが、当初よりその言動には一介の茶頭の立場を超えるものがあったとされています。

その関係性として1586年4月に上坂した豊後の大友宗麟が、利休の印象を国元への手紙のなかで「宗易ならでは関白様(秀吉)へ一言も申上ぐる人これ無しと見及び候」と述べていることからも伺えます。

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豊臣秀吉と千利休

秀吉が関白になった記念に催した1585年10月の禁中茶会では、初めて「利休」の名で出席し秀吉を後見、以後この居士号を用いるようになります。

1587年10月の北野大茶湯には宗及・宗久とともに奉仕し、中心になってこれを推進しました。

1589年、亡父五十年忌のため大檀那として大徳寺(京都市)の山門上層を増築しますが、その際自分の木像を楼上に安置したことが、のちに賜死の一因とされています。

1590年、秀吉の小田原征伐に従い、勘責されて浪々の身であった同じ茶頭の山上宗二を秀吉に引き合わせましたが、勘気を被ったために山上宗二は殺されてしまいます。

 

理解者の喪失、そして悲劇へ

明けて1591年正月、よき理解者であった秀長(秀吉の異父弟)の病死がきっかけで利休処罰の動きが表面化し、2月13日堺へ下向、蟄居(家の中に引きこもること)を命ぜられています。

旬日を置いてふたたび上洛し、そして28日、聚楽屋敷で自刃することとなります。享年70歳であったとされています。

 

切腹の理由

実は切腹に関して、はっきりとした理由は現在でも分かっていません。

大徳寺(京都市)の山門に置いた「木像」の件と、不当な高値で茶器を売買したことが表向きの罪状でありますが、側近としての政治的言動が下剋上のふるまいとみなされ、これが秀吉部将間の対立のなかで死を招いたともいわれています。

「人生七十、力囲希咄、吾這宝剣 祖仏共殺、提る我得具足の一太刀、今此時ぞ天に抛」が辞世の句でありました。

墓は大徳寺本坊方丈裏、同聚光院墓地にあります。

茶室や道具

茶の湯の面では、秀吉時代になって独自性を打ち出し、それまでの四畳半にかわる二畳、一畳半といった小間の茶室と、それにふさわしい茶法を創案しました。

山崎の妙喜庵待庵は、1582年秀吉の命を受けて利休がつくったものとされます。

茶陶についても、1586年ころには、いわゆる宗易型茶碗を完成、その美意識は黒楽茶碗に結実しています。

利休が茶の湯の大成者とされるのは、身辺にある雑器を道具に取り上げるなど茶の湯のもつ日常性を追求する一方、小間の茶室にみるような茶の湯の非日常的な求道性を追求し、茶の湯の限界を窮めたところにあったといえるでしょう。

 

今に残る「千利休」の名言

さて、様々な話しが伝えられている千利休でありますが、現在でもよく聞く言葉や、時には気づきを与えてくれる言葉まで、数多くの言葉が残されています。その中でも今回は名言を三つ厳選してみました。

 

名言①

名言①
一期一会

普段からよく聞く四字熟語の一つでありますが、おおもとは千利休の言葉であり、後世引用などで現在の意味に整えられたそうです。

そのため「会」の字は「茶会」の意味を指すらしく、「貴方とこうして出会っているこの(茶会の)時間は、二度とこない一度きりのものです。だからこの一瞬を大切に思い、おもてなしをしましょう」という意味であったとされます。これが転じて、「一生に一度の機会」という意味になったのですね。

 

名言②

名言②
叶うは良し、叶いたがるのは悪しし
意味
何事もありのままを受け入れることが大事である

何かを成し遂げたいと思ったとき、そのために努力をし、結果として願いが叶うことは大事な事であります。

しかし、目先のことばかりにとらわれて努力を怠っている中、叶えたいという気持ちが先走るのは良くないという意味です。

普段の生活でも気持ちが先走ることは多々あります。しかし努力を地道に積み重ねることは大切にしなくてはならないことが分かります。

 

名言③

名言③
その道に入らんと思う心こそ、我が身ながらの師匠なりけれ
意味
何事もまず「学ぼう」とする気持ちを持つことが大切であり、その気持ちが自分自身を磨く力となる

初めはあれこれとやかく言われるのではないかと不安になりますが、「学びたい」「やってみたい」と思う気持ちが一番の原動力になり、自分自身を磨くことに繋がります。この言葉を胸に、何事にもチャレンジする心を以て物事に当たってみましょう。

 

さいごに

今回は千利休に関してコンパクトにまとめてみました。

彼と豊臣秀吉の間にはまだまだ謎があり、明確な切腹理由も判明していません。しかし千利休が残した文化は、現在の私たちの生活にも根付いて存在しています。

もし手が空いている時などがあれば、身近なお茶に着目し、想いを馳せてみるのも面白いかもしれませんね。