封建制度とは?日本における封建制度の意味や、ヨーロッパの封建制度との違いについて分かりやすく解説!

主君が領土を諸侯に与え、与えられた領土を諸侯が臣下に分与し、その領内の統治を行わせることを封建制度と呼び、日本では、鎌倉時代から江戸時代までこの封建制度が使用されていたとされ、そのような社会を封建社会と呼びます。

中国で始まったとされる封建制度は中国、日本のみならずヨーロッパでも取り入れられました。

そんな封建制度の内容や、意味、ヨーロッパの封建制度との違いについて分かりやすく解説していきます。

封建制度の意味

主君が領土を諸侯に与え、与えられた領土を諸侯が臣下に分与し、その領内の統治を行わせることを封建制度と呼びます。

もともと封建制度は中国古代の周王朝(紀元前11~紀元前3世紀)の統治制度であったとされ、中国古典の伝来とともに、封建制度の概念が持ち込まれたと考えられています。

しかし、中国では周王朝以降、封建制度は用いられることはなかったとされ、郡県制度が用いられるようになりました。

この郡県制度とは郡と県の2つの地域に分けられ、中央から派遣された官吏がその地域をそれぞれ統治するといったものです。

中国の周王朝で用いられていた封建制度は世襲制であったのに対し、郡県制度は支配制度であったとされています。

 

日本における封建制度

平安時代中期から後期、武士の間では「御恩と奉公」という関係性が徐々に築かれていきました。

この「御恩と奉公」とは、主人(将軍)に従える武士(御家人)は、将軍に忠誠を誓い、合戦などの際は兵を率いる、その代わりに忠誠を誓った御家人に功績があった場合は、将軍は御家人に対し、領地という利益を与えるといった関係性とされ、この関係性を「御恩と奉公」と呼びます。

この主従関係は個人と将軍のみで結ばれるのではなく、氏族や血縁などで結ばれることとなっていたとされています。

このように土地を仲立ちとした主従関係のことを日本では封建制度と呼んでいます。

平安時代において「御恩と奉公」という関係性はまだ基礎ができておらず、複数の主君に仕える、短期間で御恩と奉公の関係性が解消されるなど、非常にルーズなものでした。

 

鎌倉時代の御恩と奉公

しかし鎌倉時代に入り、鎌倉幕府が誕生すると、将軍以外と主従関係を持たない、また主従関係は永続的なものとなり、「御恩と奉公」の関係性が本格的な成立となりました。

元暦2年(1185)、源平合戦最後の戦いである、壇ノ浦の戦いにおいて源氏が平家を破り、その後、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、その後、文永11年(1274)、弘安4年(1281)日本にモンゴル軍が襲来します。

このモンゴル軍の襲来は元寇と呼ばれ、この元寇において鎌倉幕府は各地の御家人に異国警固番役や長門警固番役などを命じ、その代わりに戦後、幕府は御家人たちに対し御恩をほどこしました。

このように、将軍に忠誠を誓った御家人たちは自国の防衛を行い、その代わり将軍から御恩を受けていたのです。

よって「御恩と奉公」の関係性は鎌倉時代には成立していたといえます。

その後も、室町時代、江戸時代とこの関係性は引き継がれていくこととなりました。

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日本の封建制度の終わり

日本の封建制度の終わりは江戸幕府の崩壊後、明治維新以降とされています。

明治2年6月17日(1869)明治維新で発足した新政府は明治維新の一環として版籍奉還を行いました。

この版籍奉還とは旧藩主たちが所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還するといったもので、これによって、鎌倉時代から行われてきた封建社会や臣従関係は否定されることとなり、封建制度は終わったとされています。

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ヨーロッパの封建制度

ヨーロッパにもフューダリズムと呼ばれる封建制度がありました。

ヨーロッパにおいて封建制度が用いられていたのは、中世(5世紀)とされています

日本と同様に、主君が持っている領土を家臣に与えると、領土を与えられた家臣はその主君に忠誠を誓い、敵が侵入してきたときなどは、主君を護衛するといったものでした。

 

ヨーロッパの封建制度との違い

日本も同じような主従関係でしたが、ヨーロッパの場合、もし主君が臣下の保護を怠ったり場合は家臣は、主君への義務を果たさなくても良いとされており、そのため短期間で主従関係が解消されることが比較的多かったとされています。

日本では主従関係を結ぶと絶対的に将軍に対し護衛などの義務を果たさなければいけませんでしたが、ヨーロッパでは、主君が家臣の保護をおろそかにした場合、家臣は護衛などの義務を果たさなくても許されたのです。

また、日本では将軍と氏族や血縁によって主従関係が結ばれていましたが、ヨーロッパでは個人と主君、直接主従関係を結ぶといったものでした。

他にも、主従関係を結べる人数の違いもあります。

日本の封建制度では1人の将軍と主従関係を結びますが、中世ヨーロッパでは1人の主君と主従関係を結ぶのではなく、数人の主君と主従関係を結ぶことが許されていたとされ、日本の封建制度に比べヨーロッパの封建制度はかなりドライなものであったとされています。

 

まとめ

封建制度について分かりやすく解説いたしました。

封建制度自体は中国で誕生した統治制度でしたが、中国では周時代以降用いられることはありませんでした。

一方、日本では鎌倉時代に成立したとされ明治維新まで封建制度は継続されることとなります。

ヨーロッパの封建制度は時と場合によっては必ず君主に従わなくてもいい、また様々な君主と主従関係を結ぶことができました。

それに比べ日本の封建制度は、他の君主以外と主従関係を結ぶことは許されず、また家臣は主君に対し忠誠を誓い続けなければならず、日本の封建制度は奴隷制度よりのものであったとされています。