川口雪篷とは?西郷隆盛との関係や書道家としての生涯、逸話などを解説!

大河ドラマ「西郷隆盛」が放送中ですが、主人公であるこの西郷隆盛が心を許した書道家がいます。

それが今回紹介する川口雪篷(かわぐちせっぽう)です。

驚くほどお酒が大好きだった川口雪篷にはお酒にまつわる逸話がいくつか残っています。

またその生涯を終えるまで、西郷隆盛の家に住みついていたともいわれている彼はどんな人物だったのか、なぜ二人はここまで仲が良かったのか、解説していきたいと思います。

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川口雪篷とは

川口雪篷は江戸藩邸付きの馬回り役の薩摩藩士・川口仲左衛門の四男として、1819年に種子島西之表村納曾に誕生しました。名を川口量次郎といいます。

江戸では菊地五山から漢詩を学んでおり、また陽明学にも通じている書家として活躍しました。

しかし父が不始末によってお役御免となり、鹿児島に帰ることとなると、連座して川口量次郎も遠島処分となったといわれています。

 

島流しの逸話

遠島処分に関しては諸説あり、前述のとおり家族の罪の連帯責任を取らされた説や、実は悪いことなどはしておらず、西郷隆盛に会うためにわざわざ島へ向かった説まであります。

しかし一般には島津久光の写字生だったにも関わらず、酒好きだった川口雪篷はどうしてもお酒が飲みたくなり、藩の書物を売ってはお酒を買っていたことがばれ、久光が激怒したことが島流しの直接の原因とされています。

罪人ということで、島流しにされた川口雪篷でしたが、島内では牢獄に入れられることはなく、比較的自由に過ごすことができたため、西原という地域で子供たちに書道や読み書きを教えていました。

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西郷隆盛との出会い

こうして沖永良部島へと島流しにされた川口雪篷ですが、しばらくすると同じく島流しにされた西郷隆盛と出会うこととなります。

偶然にも同じころ、西郷隆盛も暴動を企てていると決めつけられ、島津久光によって島流しの刑に処されていたのです。島流しにされる前に全財産を奪われていた西郷隆盛は、当然生きる希望を失っていました。

そんな西郷隆盛に会うために、川口雪篷は島の役人だった土持政照に仲介を依頼しました。一度西郷隆盛と会い意気投合した二人。川口雪篷は西郷隆盛に会うために、彼が収監されている牢獄に毎日通い、談論したといわれています。

あまりに雪篷が、西郷隆盛のもとを訪ねてくる回数が多いため、仲介人の土持政照は「会いに来ることを控えるよう」雪篷に注意するか、西郷隆盛に提案しましたが、雪篷は和漢の学に通じていて、とても面白い人だとして、全く気にすることはありませんでした。

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冗談を言い合えるような間柄に

そして、優秀な書家であった川口雪篷は、西郷隆盛に書道を教え、次第に二人は仲良くなっていきました。

西郷隆盛は川口雪篷の10歳も年上でしたが、二人の関係は師弟のような厳しい上下関係があるわけではなかったようです。むしろお酒を飲むとすぐに寝てしまう雪篷を、西郷隆盛が「これからは睡眠先生と呼ぼう」とからかうと、「酔眠先生にしなさい」と雪篷が返すなど、冗談を言い合えるような軽い友人同士のような関係であったといわれています。

そして先に島を出たほうが、後に島を出た方の生活を手助けしようと約束を交わしました。

 

薩摩での再会

島流しから半年後、ついに西郷隆盛は許しを得て薩摩へ戻ると、その翌年、川口雪篷も薩摩へ戻ることを許されました。沖永良部島で、薩摩に戻ったら再び会う約束をしていた二人は、約束通り薩摩で再開します。

薩摩に戻ったものの、行く当てもなく、はじめは親戚の家を渡り歩いていた川口雪篷ですが、しだいに居づらくなり、最終的に1980年に自身が亡くなるまで西郷隆盛の家に居候することとなります。

しかし、川口雪篷はただ西郷隆盛の家に居座るのではなく、国事に奔走し、家を留守にすることが多かった西郷隆盛の留守番としての役割を担っていました。ときに西郷隆盛の子供達には書道を教えることもあったといいます。

西郷隆盛が征韓論で敗れ、鹿児島で私立学校を設立した際は、川口雪篷は教師としての役目も務めています。また西南戦争で負傷したため、右足を切断することとなった西郷菊次郎の義足の手配を行うなど、男手のいなかった西郷家の家令にあたる役割を見事に果たしました。

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川口雪篷の最期

西郷隆盛が西南戦争に敗れ、亡くなった後も川口雪篷は西郷家にその身を置いていました。

西郷隆盛の仲間で、逆賊の一族という世間の声に耐え、最後まで西郷隆盛の味方だったといわれています。

そして明治23年(1890年)、大日本帝国憲法が発布されると、西郷隆盛の名誉は回復されました。

その時すでに病に侵されていた川口雪篷は、西郷隆盛の名誉が回復されるのを見届けまるで安心したかのようにその年に生涯を終えました。享年73歳でした。

西郷隆盛の親友には、あの大久保利通らもいますが、生涯一番長い時間をともに過ごした人物は、川口雪篷であったといわれるくらい、二人は仲が良く、二人が亡くなるまで良好な関係を築いていました。

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