紀貫之とは?女説や土佐日記などの代表作、百人一首の作品などを解説!

紀貫之は平安時代前期・中期に活躍した貴族・歌人です。

代表作である「土佐日記」を残し、勅撰和歌集である「古今和歌集」の仮名序を執筆、また小倉百人一首に和歌が収録されるなど、日本文学史に大きな影響を与えてきました。

そんな紀貫之の生涯や代表作「土佐日記」、百人一首、また紀貫之は実は女性であったと噂される女説について解説していきます。

紀貫之の生い立ち

紀貫之は貞観8年(866)または貞観14年(872)頃に京都にて紀望行の子として誕生しました。

幼少期は紀貫之の母が内教坊出身(律令制における令外官)であったため自らを「内教坊の阿古久曽」と称したとされています。

 

寛平御時后宮歌合に収録される

紀貫之は20代の若さで寛平5年(893)以前に光孝天皇の后・班子が主催したとされる寛平御時后宮歌合に参加した記録が1巻「寛平御時后宮歌合」に残されます。

寛平御時后宮歌合には紀貫之の他に、藤原興風、壬生忠岑が参加しました。

 

「古今和歌集」の編纂を命じられる

延喜5年(905)、後醍醐天皇は紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒に勅撰和歌集である「古今和歌集」の編纂を命じます。

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「古今和歌集」とは「万葉集」以降の優れた和歌を約1100首収録し全20巻にまとめたものです。

この「古今和歌集」には平仮名で書かれた仮名序、漢字で書かれた真名序の2つの序文があり、どちらも日本文学における和歌の在り方、和歌の歴史、技法、六歌仙の評価、編纂の経緯についてなどが記されました。

紀貫之はこの「古今和歌集」において平仮名で記した仮名序を執筆し、自身の和歌を102首収めました。

「古今和歌集」は延喜12年(912)頃に完成したとされています。

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土佐国の国司となる

延長8年(930)1月、紀貫之は土佐国の国司として任命されます。

また同年、延長8年(930)に醍醐天皇の勅命によって「新撰和歌集」の編纂を土佐守の在任中に行いました。

「新撰和歌集」は四巻一冊からなり360首の和歌を収め、全体の約8割は「古今和歌集」の和歌が収められますが、その他2割は詠み人知らずの和歌であるとされています。

「新撰和歌集」は紀貫之の土佐守の在任中に完成されました。

「土佐日記」の執筆

承平5年(935)2月、紀貫之の土佐での国司の任期が終わりました。

任期を終え、土佐から帰京する際の55日間の旅路に起こった出来事を記した「土佐日記」は紀貫之の代表作となっています。

また、土佐日記は日本ではじめての日記文学作品とされています。

平仮名を用いて執筆され、その後の女流文学に大きな影響を与えました。

「土佐日記」には57首の和歌が収録され、旅の旅の行程、土佐国で亡くなった娘を思う心情、船中での出来事、京へのあこがれなどが記されます。

 

平仮名で執筆された「土佐日記」

平安時代では一般的に平仮名を使用するのが女性、漢字を使用するのが男性とされていました。

紀貫之が「土佐日記」を平仮名で執筆した理由として、このような2つの推測がされています。

1つ目に、平仮名の特性を活かした技法を使用するため、平仮名で執筆したことがあげられます。

紀貫之は男性でありましたが、平仮名の特性を活かした技法を使用するため女性のふりをして平仮名で「土佐日記」を執筆しました。

「土佐日記」冒頭部分に「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」と記述されています。男性が日記というものをつけているが、女である私も日記をつけてみようといった意味が記述され、紀貫之が女性のふりをして執筆したことがわかります。

2つ目に、平仮名を用いた理由として、紀貫之が歌人であったことがあげられます。

当時、日記を書く際、男性は漢字を用いるのが一般的でしたが、和歌では男女ともに平仮名を使用していました。

紀貫之は自身の和歌が百人一首に選ばれるなど、平仮名の使用は得意であったため、「土佐日記」は得意の平仮名で執筆されたのではないか、と推測されます。

 

紀貫之の最期

紀貫之の生きた平安時代、平安京の朝廷内では藤原氏が権力を持ち摂関政治が横行していた時代です。

藤原北家が活躍する裏で、紀氏勢力は押され、紀貫之の出世は期待されていませんでした。

しかし紀貫之は歌人として活躍し、「古今和歌集」の編纂、「土佐日記」といった文学作品を残し日本文学史に大きな影響を与えます。

そんな紀貫之は天慶8年(945)、74歳で生涯を閉じました。

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紀貫之が残した和歌

紀貫之は多くの和歌を残してきましたが、特に有名なものを紹介します。

紀貫之は長谷寺に何回も参拝をしており、定宿としていた宿がありました。

しばらく長谷寺の参拝に足が遠のいたため宿の主人が貫之に「この宿は今も変わらずあるのに心変わりされたのか、ちっとも来てくれませんね」と無沙汰を遠まわしに責めます。

その際、貫之が以下の和歌を詠みました。

紀貫之の和歌
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

意味は以下になります。

意味
そうやって私のことを咎めるけれど、あなたの気持ちはどうでしょうか。本当に私を覚えていたのでしょうか。昔と変わらずよい香りで咲いているのは梅の花だけですよ

 

紀貫之の女説

紀貫之は女性ではないかといった説があります。

この女説は代表作「土佐日記」冒頭部分に記述される「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」から「土佐日記」の作者は女性ですと記述されたことで、紀貫之をよく知らない人からは紀貫之は女性であったと勘違いされるよになったのではないでしょうか。

「土佐日記」冒頭部分でこのような記述をした理由として、男性が一般的に用いることのない平仮名を使用し執筆するため、女性のふりをしたことあげられます。

 

最後に

紀貫之はこの生涯の中で「古今和歌集」「土佐日記」などの作品を執筆し、後世の文学史に大きな影響を与えました。

紀貫之の代表作「土佐日記」では70歳前後であった紀貫之が女性を装って執筆します。

「土佐日記」を女性のふりをして執筆されたと頭の隅に置きながら読むのも楽しいかもしれません。