三島彌太郎とは?生涯やオリンピックの逸話、三島通庸との関係性や小説『不如帰』について解説!

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2019年大河ドラマ「いだてん」に登場する三島彌太郎は日本初のオリンピック選手としてストックホルムオリンピックに出場した三島彌彦の兄にあたる人物です。

マサチューセッツ農科大学(現在のマサチューセッツ大学アマースト校)に入学し、帰国すると貴族院議員となり、鉄道国有化を実現しました。

そんな三島彌太郎の生涯やオリンピックの逸話、また三島通庸との関係性や小説『不如帰』について解説していきます。

三島彌太郎の生い立ち

三島彌太郎は慶応3年(1867)4月1日、父・三島通庸の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島城下高麗町上の園(現在の鹿児島県鹿児島市上之園町)で誕生しました。

父の三島通庸は幕末時代、西郷隆盛、大久保利通、海江田信義、吉井友実らが結成した薩摩藩内の組織「誠忠組」に所属した人物で、戊辰戦争において鳥羽・伏見の戦いで小荷駄隊を率いるなど活躍した人物でした。

そんな父・三島通庸の長男として誕生した三島彌太郎は、7歳のとき東京神田の小川町学校へと入学します。

その後、すぐに教育者である中村正直が開設した私塾・同人社分校に入塾します。

9歳になると近藤真琴の私塾で学び始め、13歳の時に山形県師範学校へと入学しました。

山形県師範学校で成績が優秀であった三島彌太郎は卒業後、駒場農学校(現在の東京大学農学部)へと入学し、18歳の時に渡米、マサチューセッツ農科大学(現在のマサチューセッツ大学アマースト校)に入学します。

ここでは、農政学を学んだとされ、卒業後はコーネル大学大学院で害虫学を学び始めました。

しかし、神経痛を患ってしまったため退学し帰国します。

 

貴族院議員となる

退学し帰国したものの、華やかな経歴を持つ三島彌太郎は農商務省、逓信省に務め始めます。

この間、父・三島通庸が亡くなってしまったため、明治21年(1888)に子爵を継ぎ、その後、明治30年(1897)には第2回伯子男爵議員選挙に立候補し、見事、貴族院議員に当選しました。

貴族院議員になった三島彌太郎は私鉄を国有化するための法律、鉄道国有法を明治39年(1906)3月31日に実現させます。

また貴族院議員として活動する傍ら、金融業に深く関与し始めるようになり、横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)の頭取となった後、大正2年(1913)2月28日に第8代日本銀行総裁に就任となりました。

 

三島彌太郎の最期

大正3年(1914)から第一次世界大戦が勃発するも、三島彌太郎は戦時中、戦後も貴族院議員、金融業で激務をこなしました。

しかし、その多忙による疲れが原因なのかは分かりませんが、大正8年(1919)3月7日急病によって51歳で亡くなりました。

小説『不如帰』に登場

三島彌太郎は徳冨蘆花の小説『不如帰』に登場する川島武夫のモデルであるとされています。

この『不如帰』とは明治31年(1898)から32年(1899)にかけて新聞に連載された小説です。

作家・徳冨蘆花が三島彌太郎と妻である信子をモデルにしたとされており、小説の中では、主人公・浪子(信子)が結核を患ってしまったため夫(三島彌太郎)と離婚することとなり、実家に帰るも薄情な継母に疎まれ、その後離れで亡くなるといった物語が描かれています。

実は三島彌太郎の妻・信子には実際に継母・大山捨松がいたとされており、この小説を読んだ読者が小説に登場する冷淡な継母は大山捨松の実像であると信じてしまったため、信子の継母・大山捨松のもとには誹謗中傷が記された手紙が頻繁に届いたとされています。

しかし実際は信子とその継母・大山捨松は仲が良かったようです。

 

三島彌太郎の家族

弟・三島彌彦

明治19年(1186)に誕生した三島彌彦は三島彌太郎の弟です。

三島彌太郎とは19歳も離れており、鹿児島で誕生した三島彌太郎に対し、弟の三島彌彦は東京で誕生しています。

三島彌彦は東京帝国大学(現・東京大学)法科に進学すると、在学中はスポーツに打ち込みました。

明治44年(1911)ストックホルムで開かれる第5回国際オリンピック大会代表を決める「オリムピク大會予選競技会」が羽田運動場で行われると、飛び入り参加し100m、400m、800mの各短距離徒競走などで、優秀な成績を残したため、日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックに参加しました。

 

妻・大山信子

三島彌太郎は生涯、2度の結婚をしています。

1度目となる結婚相手は、大山巌の長女・信子であったとされています。

 

後妻・四条加根子

大山信子と離別後、四条加根子と再婚しました。

2人の子供には長男・三島通陽、娘・寿子、娘・梅子が誕生します。

 

まとめ

三島彌太郎は日本初のオリンピック選手としてストックホルムオリンピックに出場した三島彌彦の兄にあたる人物です。

幼いころから成績が優秀であった三島彌太郎は、マサチューセッツ農科大学(現在のマサチューセッツ大学アマースト校)に入学し、その後、貴族院議員として活躍しました。

そんな三島彌太郎は2019年大河ドラマ「いだてん」に登場しています。

この作品では俳優の小澤征悦さんが三島彌太郎を、俳優の生田斗真さんが弟・三島彌彦を演じられています。