『日本書記』とは奈良時代にあたる養老4年(720)に成立された日本の歴史書です。
神代から持統天皇の時代に至る天皇中心の国家成立史で、日本最古の正史とされています。
そんな『日本書紀』の内容や現代語訳、日本神話を伝える神典の1つともされる『古事記』との違いについて解説していきます。
『日本書紀』とは
『日本書紀』とは奈良時代の第40代天皇・天武天皇が天武10年(681)天智天皇の第二皇子・川島皇子ら12人に「帝紀」および「上古の諸事」の編纂を命じたものです。
もともと、天武天皇の兄・天智天皇の治世には 『天皇記』など多くの歴史書が存在していました。
しかし、蘇我蝦夷が皇極天皇4年(645)6月13日、乙巳の変で大邸宅に火をかけ自害した際、多くの歴史書が保管されていた朝廷の書庫までもが炎上し、『天皇記』をはじめとする歴史書の多くが失われてしまいました。
そのため、天智天皇の弟である天武天皇が国記に代わる『古事記』『日本書紀』の編纂を命じたとされています。
現存していない『帝紀』や『旧辞』、また残された朝廷の記録や伝聞、中国や朝鮮の歴史書をもとに漢文で編纂されました。
その後、天武天皇が崩御してもなお、『日本書紀』の編纂は続けられ、『日本書紀』の編纂開始から約40年後の養老4年(720)30巻と系図1巻からなる『日本書紀』が完成しました。
編纂目的
『日本書紀』は『古事記』と同時期に編纂を天武天皇が命じましたが、『日本書紀』は日本の天皇家の正当性を国内に示した『古事記』とは違い、日本の歴史を外国にアピールするための「日本の正史」として編纂されたとされています。
『日本書紀』の内容
30巻と系図1巻からなる日本書紀には神代から持統天皇の時代までの国家の成り立ちや、持統天皇までの歴代天皇が行った事績などが記されています。
ここでは現代語訳にした『日本書紀』の内容を巻ごとにご紹介いたします。
卷第1から卷第6
この巻では国産みの話、天の岩戸、神武天皇や崇神天皇の即位などが記されています。
卷第7から卷第11
景行天皇の即位から始まる卷第7巻には日本武尊(やまとたける)の病没が記され、卷第8には仲哀天皇の即位、卷第9には仲哀天皇の皇后・神功皇后の熊襲征伐や新羅出兵、卷第10には応神天皇の誕生と即位、卷第11には仁徳天皇の即位と新羅、蝦夷などとの抗争についてが記されました。
卷第12から卷第15
卷第12には履中天皇の治世、卷第13には最古の地震記録と安康天皇の治世が記されています。
卷第14からは雄略天皇の即位、高麗軍との戦い、卷第15には清寧天皇の治世が記されました。
卷第16から卷第18
卷第16には武烈天皇の治世、卷第17には継体天皇の治世とヤマト王権軍と筑紫君磐井の対立である磐井の乱、卷第18には安閑天皇の即位など記されています。
卷第19から卷第21
卷第19には宣化天皇4年(539)12月5日に即位した欽明天皇の治世が記され、百済から仏教が伝来したこと、卷第20には蘇我馬子の崇仏、物部守屋の排仏について、卷第21には敏達天皇の寵臣・三輪逆の死、法興寺の創建、崇峻天皇の暗殺事件について記されました。
卷第22から卷第24
卷第22には推古天皇の即位と崩御、聖徳太子の摂政と死、遣隋使についてが記されます。
また卷第23には舒明天皇の即位や遣唐使について、卷第24には皇極天皇の即位や中大兄皇子と中臣鎌子、蘇我蝦夷、入鹿の滅亡についてが記されています。
卷第25と卷第26
卷第25には大化の改新の詔や蘇我倉山田麻呂、卷第26には斎明天皇の重祚や阿倍比羅夫の遠征についてが記されました。
卷第27から卷第29
天智天皇7年(668)2月20日に即位した天智天皇の治世が記され、白村江の戦いや近江遷都、藤原鎌足の死などが記されています。
卷第28には大海人皇子(天武天皇)による挙兵、卷第29には天武天皇の即位、八色の姓と新冠位制、八色の姓と新冠位制についてが記されています。
卷第30
『日本書紀』の最終巻となる卷第30には持統天皇の治世が記され、大津皇子の変や草壁皇子の死、藤原宮造営や藤原京遷都、また持統天皇の譲位などが記されました。
書紀講筵(こうえん)
『日本書紀』は全て漢文で記され養老4年(720)に完成しました。
しかし、漢文は日本人にとって読みにくいため『日本書紀』の完成の翌年である養老5年(721)に『日本書紀』を自然な日本語で読むための講義が行われます。
この講義は、宮中にいる博士らが貴族の前に立ち読み下すといったもので、この講義は書紀講筵と呼ばれました。
開講から終講までは約7年を要したとされ長期講座であったことが分かります。
『古事記』との違い
『日本書紀』と『古事記』は同時期に天武天皇の命によって編纂された歴史書です。
どちらも、天武天皇の命によって編纂された歴史書で、記された内容も類似している部分が多くあります。
しかし『日本書紀』は編纂を命じられた川島皇子らによって編纂され養老4年(720)に完成した一方、『古事記』は編纂を命じられた稗田阿礼によって編纂され和銅5(712)に完成したとされています。
また漢文で記され、神代から持統天皇までの出来事が記されている『日本書紀』に対し、『古事記』は基本的に漢文を使用していものの、読みやすいように日本語を意識した表記がなされ、神代から推古天皇までの出来事が記されています。
このような『日本書紀』と『古事記』の違いがあげられますが、編者や完成年、漢文だけではなく編纂された目的が『日本書紀』と『古事記』の最大の違いとされています。
『古事記』の編纂目的
『日本書紀』は日本の歴史を異国にアピールする「日本の正史」であることを目的に編纂され、天武天皇から持統天皇まで歴代の天皇の治世の紹介が中心となっています。
一方、『古事記』は日本の建国神話を記すことで天皇家の神聖性を高めるために編纂されました。
このような編纂目的が『日本書紀』『古事記』の最大の違いとされています。
まとめ
『日本書紀』と『古事記』は天武天皇によって同時期に編纂が命じられた歴史書です。
内容も類示している点がありますが、漢文の使用や、編者、完成年だけではなく編纂目的は全く異なったものでした。
日本の正史という意味では養老4年(720)に完成した『日本書紀』が最も古い日本の歴史書ということとなりますが、単純に日本の歴史を記したという意味では和銅5(712)に完成した『古事記』が日本で最も古い歴史書となります。