明治維新を成し遂げた重要人物として有名な西郷隆盛。
東京上野恩賜公園にある西郷隆盛像は、なぜか1匹の犬を連れていますね。
西郷隆盛は大の犬好きで20頭近く飼っていたということですが、西郷隆盛像の横にいるこの犬の名前はツンと言うようですが、種類は薩摩犬だそうです。西郷はいったいなぜ犬を飼っていたのでしょうか。
それらについて、詳しく解説していきたいと思います。
愛犬の名前は「ツン」! 一目でお気に入りに
東京上野恩賜公園・西郷隆盛像の横にいる愛犬は「ツン」という名前だそうです。
西郷隆盛は明治6年の政変で政界を辞め、鹿児島へ戻る途中でこのツンに出会い、一目で気に入ってしまったといいます。
もともと、農民の前田善兵衛という人物が飼っていたようで、西郷隆盛は譲ってくれと頼みますが、善兵衛はそれを断ります。
しかし、どうしても諦められなかったようで、西郷隆盛は地元の有力者を動かして、ついにツンを譲ってもらうことに成功します。
多少、強引なやり方ですが、それほどツンを気に入ったということなんでしょうね。
しかしツンはとても利口な犬だったようで、西郷が鹿児島へ戻る途中、故郷の善兵衛の家が恋しくなり2回ほど自宅へ戻ったようです。最初は西郷も、可愛いながらツンに手を焼いていたのが分かりますね。
種類は薩摩犬!いったいどのような犬種なのか?
ツンは薩摩犬だったと言われていますが、いったいどのような犬種なのでしょうか。
薩摩犬はその名にある通り、古くから薩摩の猟犬としてイノシシを狩る際に活躍していたようです。
大きさは中型犬程度で、猟犬というだけあって、その性格は獰猛です。しかし、温和で従順な一面もあるようで、西郷隆盛ほどの人物ならば苦もなく飼い慣らせていたのかもしれません。
また先ほども書きましたが、薩摩犬は希少な存在で絶滅寸前でした。
しかし、昭和が終わるころ、鹿児島県の山中で薩摩犬の純血種としての血統を色濃く残した犬が生き延びていることがわかります。
その後は交配を重ね、一般的に血統が安定すると言われる4代目・7匹に対して、薩摩犬としては初めてとなる血統書が発行されました。
銅像の犬は、実はツンではない!?
実在したツンはメスなのですが、西郷隆盛像の横にいる銅像のツンはオスとして作られています。
実はこれには理由があって、銅像の作成当初には本物のツンが既に死んでしまっており、ツンの犬種であった薩摩犬も希少な存在だったため、同じメスが見つけられず、代わりにオスの薩摩犬をモデルにしたためです。
また、銅像の製作者である高村光雲は、写実に非常にこだわる方だったということで、メスとして表現するのではなく、あくまでモデルのオス犬をそのままの実物として制作した背景があるようです。
つまり、西郷隆盛像の横にいる犬は愛犬ツンを表しているのですが、実在したツンは銅像のものとは違って、メス犬だったということですね。
西郷隆盛なぜ犬を飼っていた?
一時期、かなりの肥満体になってしまい、健康上の問題が出始めていた西郷隆盛。
もともと倒幕に向けて活動していた時の西郷隆盛は、軍人真っ盛りの時期だったため、体型はとてもスラリとしていました。
しかし、明治維新が成功して、雑務は部下が代わりにやるようになり、西郷隆盛は管理職として、今でいうデスクワークをするようになります。
薩摩芋や饅頭のような甘いものや、脂っこい食事が大好きだった彼は、食べる量は昔から変わらず大食いだったため、運動をしなくなった分どんどん肥満体になっていきます。明治維新当時の西郷隆盛の年齢は42歳ということですから、完全なメタボおじさんになってしまったわけですね。
そしてついに、歩くだけでも息切れしてしまい、馬に乗ることもできない状況まで悪化してしまいます。
ドイツ人医師のホフマンは、西郷隆盛に「このままでは長生きできない」と警告し、食事の制限と運動をするようにアドバイスしました。
さすがの西郷隆盛もホフマン医師の忠告に恐れを感じたのでしょう。
それからは、ダイエットの一環として山で散歩をしながら狩猟を行うようになりました。西郷隆盛はもともと兎狩りが趣味だったといいます。
そしてどうせ散歩するなら一人ではつまらないからということで、愛犬のツンと散歩をしながら兎狩りをすることが定着したようです。
この時のイメージが、西郷隆盛像の銅像に反映されているのかもしれませんね。
西郷隆盛は犬が大好き?いくつかの逸話を紹介
最初は特に犬が好きというわけではなかった西郷隆盛でしたが、親族から犬を預かって一緒に生活するようになってからは、無類の犬好きへと変化していきました。
ここでは、そんな西郷隆盛と犬に関するいくつかの逸話を紹介したいと思います。
【逸話1】 犬にウナギを与える
西郷隆盛はもともとウナギが好きだったと言いますが、ウナギ丼をお店で注文しても、自分は食べずに愛犬に食べさせていたようです。
また、それは猟をする時も同じで、愛犬が獲物を捉えると、それを鍋で煮て愛犬やお供していた青年たちに与えていたとか。おかげで、西郷の猟犬は丸々と太っていたようですね。
【逸話2】 金品はいらないが、犬は欲しい
西郷隆盛はその潔癖さから金品を受け取らないことで有名でしたが、犬の絵は受け取るという評判を聞いて、ある外国人が西郷に犬の絵をよく送っていたそうです。
西郷が政府の職を辞めて鹿児島へ帰った後、家財を整理していた家の者がそれらの犬の絵を発見したという話があります。
【逸話3】 日常的に犬へ愛情を注ぐ
西郷隆盛は毎日庭へおりてきて犬の毛並みを整えたり、食事の世話をしていたと言います。また、優しく犬に語りかけていたりもしたそうで、日常的な動作から犬への深い愛情が伝わってきます。
【逸話4】 祇園に行く時も犬と一緒
幕末の時代、西郷隆盛が祇園で他の藩の同志と酒を飲む時にも、「トラ」という名前の犬を連れて行っては、座敷で隣に座っているトラの背中を優しげに撫でていたと言います。
【逸話5】 戦争時でも犬と趣味を楽しむ
西南戦争が始まった後でも、西郷隆盛は2頭の犬を連れて行ったと言います。そして、空いている時間に犬を連れて猟を楽しんだとか。
戦争の時ですら犬を連れて行くということですから、それだけ西郷にとって犬は癒しの存在だったんですね。
西南戦争で愛犬ツンとの別れ
さきほど、西郷隆盛は西南戦争で2頭の犬を連れていったと書きましたが、西郷は戦地で自分の最後を悟ると、その2頭の首輪を外し、泣く泣く逃がしてやったと言います。
後日、生まれ故郷に何日もかけて無事にたどり着いた犬もいれば、途中で捕獲されてからは行方が分からなくなった犬もいるようです。
そして実は、この戦争に連れて行ったうちの2頭の中にツンはいません。ツンは戦争前に西郷の親しい知人に預けられたようです。西郷の死後も、ツンは預け先で可愛がられたようで、そこで残りの一生を過ごしました。
ツンが亡くなった場所は、「西郷どんの犬の墓」として現在に伝えられているようです。
さいごに
ここまで、西郷隆盛と愛犬ツンに関して書いてきましたが、いかがでしたでしょうか。
西郷のダイエットに犬が関わっていたとは意外でしたね。また、犬とのエピソードを通じて、西郷隆盛の寛容で優しい人間性がよく伝わってきたのではないでしょうか。
西郷隆盛と犬の銅像は、まるで彼らの切っても切り離せない関係を表しているようですね。