アレクサンダー・フォン・シーボルトとは?楠本イネとの関係性やシーボルト事件、子孫について解説!

シーボルト事件で日本から追放されたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの子供であるアレクサンダー・フォン・シーボルは明治政府のお雇い外国人として40年間雇用された人物です。

徳川昭武がパリ万国博覧会のため渡欧した際、通訳として随行しました。

またその際、渋沢栄一も会計係として随行したとされています。

そんなアレクサンダー・フォン・シーボルの生い立ちやシーボルト事件、楠本イネとの関係性や子孫について解説いたします。

アレクサンダー・フォン・シーボルトの生い立ち

アレクサンダー・フォン・シーボルトは弘化3年(1846年)8月16日、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとヘレーネ・フォン・ガーゲルンの長男として誕生しました。

父のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはアレクサンダー・フォン・シーボルトが誕生する前の文政11年(1828年)9月、シーボルト事件を起こしたため日本から追放されていました。

 

シーボルト事件とは

シーボルト事件とは江戸時代後期の文政11年(1828年)9月、アレクサンダー・フォン・シーボルトの父であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが起こした事件です。

オランダ商館付の医師であったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが帰国する際、国外に持ちだすことを禁じられていた日本地図などが所持品の中に含まれていたため、文政12年(1829年)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは国外追放、再渡航禁止の処分を受けることとなりました。

またフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトだけではなく、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトに日本地図を送ったとされる幕府天文方・書物奉行の高橋景保なども処分の対象となりました。

 

異母姉に楠本イネ

父であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと母のヘレーネ・フォン・ガーゲルンとの間には、アレクサンダー・フォン・シーボルト(長男)以外に、次男のハインリヒ・フォン・シーボルト、次女のヘレーネ、3男2女が誕生しました。

また父は丸山町遊女であった瀧との間にも娘・楠本イネがおり、楠本イネは後に日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学び、医師として活躍しました。

アレクサンダー・フォン・シーボルトと楠本イネは異母姉弟ということとなります。

日本に帰国

国外追放となっていた父でしたが、安政5年(1859年)9月、日本とオランダとの間に日蘭通商条約が結ばれたことにより、追放令も解除されることとなりました。

追放令が解除されると、父は日本に帰国することを望んだため、翌年、12歳であったアレクサンダー・フォン・シーボルトを連れ日本へと旅立ちます。

同年8月、アレクサンダー・フォン・シーボルトと父は長崎に到着しました。

12歳のアレクサンダー・フォン・シーボルトは蘭学者・二宮敬作やその弟子である三瀬諸淵、また近所に住む僧侶などから日本語を学んだとされています。

 

江戸へと移り住む

文久元年(1861年)父が幕府顧問に就任します。

対外交渉のための就任でした。

父が幕府顧問となったことから、アレクサンダー・フォン・シーボルトは父とともに長崎を発ち江戸の芝赤羽接遇所で暮らすこととなります。

 

英国公使館特別通訳生となる

文久2年(1862年)、15歳のアレクサンダー・フォン・シーボルトは英国公使館特別通訳生としてロシア海軍に雇われます。

父が長崎滞在中にロシア海軍に対し、息子のアレクサンダー・フォン・シーボルトを通訳にさせるよう手配をしていたのでした。

アレクサンダー・フォン・シーボルトが英国公使館特別通訳生となったと同時に父はドイツへと帰国します。

帰国後、父は病を患い慶応元年(1866年)に亡くなりました。

 

通訳・翻訳官となる

英国公使館特別通訳生となったアレクサンダー・フォン・シーボルトでしたが、就任直後は英語を完璧に話せる状態ではありませんでした。

しかし、1年後には話せるようになります。

文久3年(1863年)8月、アレクサンダー・フォン・シーボルトは試験に合格し正式に通訳・翻訳官に任命されます。

直後に起きた薩摩藩とイギリスとの間で起きた薩英戦争では代理公使ジョン・ニールの通訳を務めました。

 

薩英戦争とは

薩英戦争とは文久3年(1863年)8月、薩摩藩とイギリスとの間で起きた武力衝突です。

文久2年(1862年)武蔵国橘樹郡生麦村で島津久光が大名行列を行った際、行列に馬に乗ったイギリス人が乱入しました。

薩摩藩は行列に乱入したイギリス人たちを殺傷する処分を降します。

この事件は生麦事件と呼ばれ、イギリスは薩摩藩に対し事件の解決と補償を薩摩藩に求めました。

生麦事件がきっかけとなり薩摩藩とイギリスは衝突を起こすこととなったのです。

薩英戦争は結果、幕府が生麦事件の遺族に対し扶助料を支払い講和となりました。

通訳として活躍

その後も元治元年(1864年)の下関戦争(長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカ連合軍との間で起きた武力衝突)などにも通訳として参加することとなります。

 

パリ万国博覧会のため渡欧

慶応3年(1867年)江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の弟・徳川昭武が徳川慶喜の代行としてパリ万国博覧会に参加することとなります。

アレクサンダー・フォン・シーボルトはパリ万国博覧会に参加する徳川昭武の通訳としてヨーロッパ派遣に同行しました。

このヨーロッパ派遣には会計係として渋沢栄一も随行しました。

その際、アレクサンダー・フォン・シーボルトは渋沢栄一に語学を教えていたとされています。

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明治新政府の樹立

パリ万国博覧会終了後も徳川昭武らはパリで滞在を続けましたが、パリ滞在中、日本では将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、明治政府が樹立となります。

パリにいた徳川慶喜やアレクサンダー・フォン・シーボルトらのもとには明治新政府から帰国命令が届き、徳川昭武らは日本に帰国することとなりました。

アレクサンダー・フォン・シーボルトは日本に帰国せず、しばらくヨーロッパに留まりましたが、明治2年(1869年)日本に帰国しました。

この際、弟のハインリヒ・フォン・シーボルトとともに帰国したとされています。

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明治新政府のお雇い外国人となる

明治3年(1870年)8月、アレクサンダー・フォン・シーボルトは英国公使館を辞職し、明治新政府に雇われます。

明治新政府の外交官・上野景範の秘書に就任したアレクサンダー・フォン・シーボルトはロンドンへと派遣されることとなり、フランクフルトでは紙幣印刷の交渉、ウィーン万国博覧会の参加交渉などを行いました。

2年後の11月には日本に帰国しますが明治6年(1873年)2月になると、駐オーストリア・イタリア弁理公使佐野常民の随行を命じられ、再びヨーロッパへと渡りました。

 

翻訳官に就任

明治7年(1874年)に帰国した後、翌年の5月には大蔵省専属の翻訳官となります。

しかし、明治10年(1877年)母のヘレーネ・フォン・ガーゲルンが亡くなったため渡欧し、6か月間をヨーロッパで過ごしました。

その間、翌年のパリ万国博覧会の委員に任命されます。

 

井上馨の秘書となる

明治14年(1881年)10月、日本に帰国したアレクサンダー・フォン・シーボルトは外務大臣・井上馨の秘書となります。

井上馨は日本と欧米諸国との間で結ばれた不平等条約の条約改正に尽力していましたが、条約改正は失敗に終わりました。

その後、明治15年(1882年)ベルリンへと帰国し、明治15年(1885年)日本へと戻ります。

明治25年(1892年)からは駐英公使・青木周蔵の不平等条約の条約改正交渉に携わり、明治27年(1894年)、イギリスとの間で日英通商航海条約を結ぶことに成功しました。

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アレクサンダー・フォン・シーボルトの最期

明治43年(1910年)アレクサンダー・フォン・シーボルトは政府勤務40年の記念祝典において勲二等瑞宝章が贈られました。

そして翌年の1月、アレクサンダー・フォン・シーボルトはジェノヴァ近郊のペリで亡くなりました。

 

アレクサンダー・フォン・シーボルトの子孫

アレクサンダー・フォン・シーボルトには子供はいなかったとされています。

長男であるアレクサンダー・フォン・シーボルトには子供はいませんでしたが、弟のハインリヒ・フォン・シーボルトは日本人女性の岩本はなと結婚して1男1女をもうけました。

父であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、妻であるヘレーネ・フォン・ガーゲルンの他に丸山町の遊女・瀧との間に娘をもうけました。

その子供は楠本イネといい、父と同じく医師となります。

楠本イネには石井宗謙との間に娘・楠本高子が誕生しました。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにとって孫にあたる楠本高子は一時、医師を目指しましたが、結婚し2男2女を授かりました。

 

まとめ

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの息子であるアレクサンダー・フォン・シーボルトの生い立ちや楠本イネとの関係性、子孫について解説いたしました。

アレクサンダー・フォン・シーボルトはパリ万博博覧会に出席する徳川昭武の通訳として渡欧しましたが、その際、会計係として渋沢栄一も随行していました。

2021年放送予定の大河ドラマ「青天を衝け」にアレクサンダー・フォン・シーボルトが登場することが予想されています。アレクサンダー・フォン・シーボル