大久保利通は明治維新を成し遂げた重要人物の一人として、かの有名な西郷隆盛、木戸孝允らと並んで「維新の三傑」と呼ばれています。
そんな大久保利通の子孫には一体どんな人たちがいるのか、家系図などをもとに調べてみました。
その結果、大久保利通の子孫は、麻生太郎などその他多くの著名人を輩出しており、まさにロイヤルティの代表とも言えるとんでもない一族であることが判明しました…!
大久保利通の子供はどんな人物?家系図から読み解く!
大久保利通には正妻・満寿子との間に4人の息子と1人の娘、愛人・おゆうとの間に4人の息子、計8男1女の子供がいました。当時の権力者である上流階級の男には、正妻の他にも妾(愛人)がいることが多かったようです。
上の画像が大久保家の簡単な家系図になりますが、黄色く表記されている要職を歴任した人物に絞って紹介しようと思います。
長男・大久保利和 政治家・実業家として活躍
利和は生涯、貴族院議員、実業家として活躍しました。
1878年、父・利通の国に対する貢献が認められ、長男・利和が華族に列せられます。その後、大蔵権少書記官となり、大蔵省主計官も務めます。
また、実業家としては、1881年に岩倉具視とともに日本初の私鉄である日本鉄道を設立し、その後は甲武鉄道の副社長、社長を務めました。
次男・牧野伸顕 天皇から信頼された政治家
大久保利通の子供の中では、政界で最も大きな影響力を持った人物です。
伸顕も兄と同じく、一生を政治家として活躍しました。生まれてすぐに大久保利通の親戚に預けられたため、「牧野」という苗字になった経緯があるようです。
伸顕は政治家のエリートコースを突き進み、最終的には第1次山本内閣で外務大臣を務め、兄と同じく貴族院議員としても活躍することになります。また、薩摩出身として政界、外交界、宮中において幅広い人脈を持ち、伊藤博文との関係も深く、大正天皇からも大きな信頼を寄せられていたと言います。
ちなみに牧野伸顕の娘・雪子は吉田茂の妻となり、その吉田茂の孫は麻生太郎です。つまり、現代でも続く政界の中心人物は、ある意味この牧野伸顕の子孫から誕生しているということでもあるのです。
三男・大久保利武 語学を生かして通訳や政治家として活躍
2人の兄と同様、三男・利武も政治家として活動しました。
利武はアメリカのイェール大学やドイツのベルリン大学などで学んでおり、語学に通じていました。そのため、日清戦争では大本営付通訳官を務めることになります。
その後は、台湾総督秘書官や内務大臣秘書官に就任。この時に、西郷隆盛の弟・西郷従道の秘書官をしていたそうです。
そして鳥取県、大分県、埼玉県、大阪府などの知事を歴任し、最終的には貴族院議員として政治家としての道を進むことになりました。また、日本赤十字社の理事も務めています。
長女・大久保芳子 夫が外務大臣の伊集院彦吉
長女の芳子は政治家の伊集院彦吉に嫁ぎます。伊集院彦吉は大正時代の日本の外交官で、後に第2次山本内閣で外務大臣を務める人物です。
八男・大久保利賢 銀行の頭取に
利賢は愛人・おゆうとの間にできた子であり、大久保家の末っ子です。
東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後、明治36年に横浜正金銀行(現・三菱東京UFJ銀行)へ入行します。ロンドン支店支配人なども経験し、昭和11年に頭取まで登りつめます。
ちなみに、利賢の子である大久保利春も商社・丸紅の取締役専務まで登りつめた人物ですが、大規模汚職事件であるロッキード事件に関わったとして逮捕されています。
牧野伸顕の娘・雪子は吉田茂の妻
大久保利通の子供たちはそれぞれ出世して立派な人生を送っていますが、特に次男・牧野伸顕に続く子孫からは、現代でも有名な政治家が輩出しています。
その人材の流れは、牧野伸顕の娘・雪子が、後の大政治家・吉田茂と結婚したことから始まります。
吉田茂は、歴代最多で5回も内閣総理大臣を歴任し、サンフランシスコ講和条約、安全保障条約を結んだことで、戦後の日本の行く末を決定づけた人物です。
なんとあの麻生太郎は吉田茂の孫!?
そしてご存知の方も多いかもしれませんが、あの有名な麻生太郎は先に紹介した吉田茂の孫なんです。
麻生太郎は第92代総理大臣を歴任し、現・安倍政権で外務大臣を務める大物政治家です。
世間一般からはお金持ちのお坊ちゃんというイメージが強いようですが、実は両親の教育方針によって小さい頃から質素な生活をしてきたようです。かなり意外ですよね。
麻生太郎の父・太賀吉は実業家
麻生太郎の父・太賀吉は麻生商店を立ち上げ、その関連企業である麻生セメントを一代で築き、財を成した人物です。
サンフランシスコ講和条約を締結する際には、義父に当たる吉田茂のために奔走し、貢献したといいます。
太賀吉、のちに九州電力の会長に就任し、九州財界のトップに君臨することになります。
麻生太郎の妹は日本の皇族へ
麻生太郎の妹は旧名を信子と言い、太賀吉の三女として生まれます。
16歳の時に皇族の寬仁親王から求婚され、その8年後に結婚。三笠宮寛仁親王妃信子さまとして、皇族入りをされました。
皇族まで誕生しているとは、麻生家はものすごい家系であることが分かりますね。
大久保利通の親族もすごい!
直系の子孫ではありませんが、大久保利通の親族には他にもたくさんの著名人がいます。
- 鈴木善幸…麻生太郎の妻・千賀子の父。第70代内閣総理大臣を務めた。
- 安田善次郎…大久保利賢の娘・百合子の義父。安田生命の創業者。
- 森薫…実業家。阪神電鉄の社長。
- 岡田茂…「流通界の革命児」と言われた実業家。三越の社長。
- 武見太郎…日本医師会会長。
さいごに
大久保利通の子孫について、簡単な家系図も参照しながら紹介してきました。
政界を中心として、各界に大きな影響力を持つ、まさにとんでもない一族だということが分かりましたね。
明治維新を切り開いた重要人物の血は、時代を超えても色濃く現代に反映されているんですね。