西郷隆盛・糸子の子孫を家系図付きで解説!女優など現在でも活躍している方が多数!

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大河ドラマ「西郷どん」で話題沸騰中の西郷隆盛。彼は3度の結婚で5人の子供をもうけましたが、その子供たちも非常に興味深い生涯を送っています。

また、西郷隆盛の子孫の中には、歴史上活躍した人物、非常に有名な騎手や女優など、多彩な人材がいることが分かりました。

今回の記事では、そんな西郷隆盛の子孫に関して、西郷の妻である糸子や、愛加那との間にできた子供達などを区別しながら、家系図つきでボリュームたっぷり解説していきたいと思います。

西郷隆盛の5人の子供達が送った人生とは?

西郷隆盛の子孫ということで、まずは彼の子供について、家系図を参照しながら紹介していこうと思います。

西郷隆盛は一人目の妻である須賀とは子供をもうけておらず、二人目の妻である愛加那との間に、菊次郎(長男)、菊草(長女)という2人の子供をもうけました。

また、三人目の妻である糸子との間に、寅太郎(長男)、牛次郎(次男)、酉三(三男)という3人の子供をもうけたので、西郷隆盛の子供は合計5人ということになります。

まずは西郷隆盛の子供たちの生涯について解説していきます。

 

菊次郎(きくじろう)は出世街道を登っていった?市長として活躍!

菊次郎は西郷隆盛の第二の妻・愛加那との間にできた長男で、1860年、西郷隆盛が奄美大島に潜伏していた時に生まれました。

菊次郎は16歳のときに西南戦争で薩摩軍として戦いますが、右足を負傷し、その後は片足だけになってしまいます。その際、政府軍側である西郷隆盛の弟・西郷従道の元に投降しており、従道は兄の息子である菊次郎の投降を喜んだと言われています。

その後は、過去のアメリカ留学の経験を活かし、英語が使える有用な人材として外務省や米国大使館で働きます。最終的には台湾での宣蘭支庁長や京都市長という大役を務めました。

非常に有能な人物として、順調に出世街道を登っていたんですね。

 

菊草(きくそう)は長年苦労しっぱなしだった?

菊草は西郷隆盛の第二の妻・愛加那との間にできた長女で、12歳の時に鹿児島の西郷本家に引き取られるまでは、母・愛加那とともに奄美大島で過ごしました。

菊草は14歳の時にいとこの大山誠之助と婚約をしていましたが、翌年、西南戦争が始まり、兄の菊次郎とともに、大山誠之助も出陣してしまいました。

そして西南戦争が終わった後、菊草は重傷を負って帰還した兄の菊次郎とともに、逃れながら暮らさざるを得ませんでした。

2年後、宮城県監獄署に収監されていた婚約者の大山誠之助が釈放され、1880年2月12日、菊草は大山誠之助と結婚。当時、菊草は17歳、大山誠之助は30歳でした。

菊草は4人の子供に恵まれ、やっと幸せな生活が送れるかと思いきや、夫・誠之助による多額の借金や家庭内暴力に長年苦労していたそうです。

のちに、夫・誠之助とは別居し、兄の菊次郎のもとに身を寄せます。そして、1909年、菊草は京都にて47歳で亡くなります。

菊草は奄美大島を離れて以来、母の愛加那とは一度も会っていなかったということを考えても、一生を通じて苦労した人生だったと言えるのではないでしょうか。

第三の妻・糸子との間に生まれた寅太郎、牛次郎、酉三の人生は?

1865年、西郷隆盛は第三の妻・糸子と結婚し、その後は長男の寅太郎、次男の牛次郎、三男の酉三という息子達を授かります。

1877年9月24日に西郷隆盛が亡くなった時には、長男の寅太郎ですら11歳くらいですので、3人の息子たちはまだ幼い時に父親を亡くしてしまったことが分かります。

 

長男・寅太郎(とらたろう)は生涯軍人として生きた

寅太郎は18際の時に明治天皇よりポツダム陸軍士官学校への留学を命じられ、13年間をドイツで過ごしました。その背景には、西南戦争で敗れた西郷隆盛の名誉回復を願っていた勝海舟らの、天皇に対する働きかけがあったとされます。

その後、寅太郎は帰国後に陸軍少尉となり、父・西郷隆盛が成し遂げた維新の功により侯爵を授かり、貴族院議員となります。これは、西郷隆盛の名誉が回復したことを象徴する出来事だったと言えます。

第一次世界大戦中には東京俘虜収容の所長 に就任し、捕虜であるドイツ兵らを人道的に扱いました。寅太郎は過去にドイツへ留学経験があったということがそうさせたのかもしれません。

しかし、当時世界で流行していたスペイン風邪が収容所でも猛威を奮い、寅太郎も罹患。1919年1月1日に亡くなってしまいます。

 

寅太郎の長男・西郷隆輝(たかてる)

寅太郎の長男に西郷隆輝という人物がおり、寅太郎がスペイン風邪で亡くなると、隆輝が先代の爵位を引き継ぎ、華族となります。この時、隆輝は18歳という若さでしたが、翌年になると、父の後を追うように隆輝も亡くなってしまいます。

母・信子は浪費癖が強い女性だったようで、今まで西郷家を援助していた実業家・園田実徳(そのださねのり)が亡くなり、夫の寅太郎も亡くなると、生活は困窮してしまいます。それでも浪費癖が治らなかった信子は、実家の園田家に追い返されてしまったようです。

 

次男・牛次郎(うまじろう)は平穏な人生を送った?

次男の牛次郎に関しては分かっていないことが多いのですが、日本郵船の秘書として働いていたという情報があります。

また、牛次郎の妻は銅山経営で成功した堀藤十郎の次女ということで、経済的には困らない生活をしていたことが予想できます。

寅太郎の没後は、母の糸子を引き取り、彼女が亡くなるまでの3年間を一緒に過ごしたそうです。

そして牛次郎は日本郵船を退職後、西郷隆盛の弟である西郷従道が所有していた現在の西郷山公園の土地を譲り受け、悠々自適の生活を送ったそうです。

 

三男・酉三(とりぞう)は若くして亡くなっている 

三男の酉三についても詳しいことは分かっていませんが、1903年10月21日、結核によって30歳の若さで亡くなっているそうです。

西郷隆盛の子孫で、現代において活躍されている方々(故人含む)

ここからは、現代において活躍されている西郷隆盛の子孫の方々を紹介しようと思います。非常に有名な方も子孫として名を連ねていて、驚く方も多いかと思います。

 

女優・西郷真悠子(まゆこ)さんは大河ドラマ「西郷どん」に出演!?

さて、2018年は西郷隆盛を題材にした大河ドラマ「西郷どん」が放送中ですが、なんとそのドラマに、西郷隆盛の子孫である女優・西郷真悠子さんが出演するのです!

真悠子さんは西郷隆盛の弟・西郷従道の「孫の孫」に当たる子孫です。真悠子さんはドラマの中で、西郷従道の娘・桜子役を演じる予定です。

真悠子さんは、現在、日本大学芸術学部の演劇学科に通う女子大生なのですが、「西郷どん」出演のきっかけが興味深いです。なんでも、真悠子さんのお母さんが「西郷どん」原作を書いた林真理子先生の大ファンで、手紙を送ったところ、林先生から直接電話をいただき、オーディションを受けてみてはと薦められたことがきっかけだったとか。

西郷隆盛の本当の子孫が「西郷どん」に出演するというのは感慨深いものがありますね。

 

美人タレント・友利新(ともりあらた)さんの夫も西郷隆盛の子孫?

女医でもありながら、女性タレントでもある友利新さん。

友利さんの夫は会社経営者ということですが、なんと彼は西郷隆盛の弟の子孫だそうです。これは友利さん自身がブログで書かれていることで、旦那さんとは西郷隆盛のお墓参りにも行くみたいですね。

 

陶芸家・西郷隆文(たかふみ)氏

西郷隆文氏は、西郷隆盛の第二の妻・愛加那との間に生まれた長男・菊次郎の孫、つまり西郷隆盛のひ孫に当たる人物です。

西郷隆文氏は鹿児島県陶業協同組合初代理事長を務め、日置南洲窯の代表でもあります。

陶芸を始めてから最初の10年間は思うような作品ができなかったということですが、40歳を過ぎるころから隆文氏の作品が認められるようになったということです。

2011年には「現代の名工」にも選ばれている著名な陶芸家だそうです。

 

佐藤内閣で法務大臣を歴任、西郷吉之助(きちのすけ)

西郷吉之助は、西郷隆盛の第三の妻・糸子との間に生まれた長男・寅太郎の三男、つまり西郷隆盛の孫に当たる人物です。

彼は第二次佐藤内閣では法務大臣を歴任し、GHQ占領下で起訴された死刑囚に対して、恩赦による減刑を行いました。

最終的には暴力団と関わりを持つなどのスキャンダルを起こし、国会内で問題視されてしまったため、自民党を離党。

1997年10月12日に亡くなっています。

 

武豊氏と武幸四郎氏は西郷隆盛の親戚?

天才ジョッキーとして有名な武豊氏と元騎手で現在は調教師をされている弟の武幸四郎氏ですが、実はこの二人、西郷隆盛の遠縁に当たる人物のようです。

武豊氏・武幸四郎氏の曽祖父の兄弟に園田実徳(そのださねのり)という薩摩出身の実業家がいるのですが、その園田実徳の娘・ノブが、先ほど紹介した西郷吉之助と結婚しているのです。

意外なところにも西郷隆盛の血筋が流れているのですね。

 

経営者としてカフェを運営、西郷隆夫(たかお)氏

西郷隆夫氏は、西郷隆盛の第三の妻・糸子との間にできた長男、西郷寅太郎の孫です。

百貨店勤務を経て食品事業を経験した後に、(株)開墾者を設立。「西郷隆盛銅像展望ホール K10カフェ」をオープンし、西郷隆盛にまつわる歴史を語り、広める活動もされています。

カフェに立ち寄るお客さんに気軽に声をかけては、西郷隆盛に関する歴史を丁寧に教えてくださるきさくな方のようですね。

 

大藤圭子(だいとうけいこ)氏

大藤圭子氏は西郷隆盛の弟・西郷従道の子孫に当たる人物です。

東京音楽大学を卒業しており、チェリストとして活躍。在学中からCMにも出ているようで、チェロ奏者としてだけではなく、ベリーダンサーとしても活躍しており、多彩な才能をお持ちのようです。

 

西郷吉太郎(さいごうきちたろう)氏

西郷隆盛のひ孫に当たる人物で、新日本製鉄株式会社やネットワンシステムズ株式会社に勤務した経歴があるようです。

 

さいごに

西郷隆盛の子供達や、子孫に関する情報をまとめてきました。

やはり「維新の三傑」と呼ばれた西郷隆盛の子孫ということもあり、重要な地位を任されて活躍されている方が多かったですね。

西郷隆盛の精神は、後に続くたくさんの子孫の方々によって脈々と受け継がれているようです。