渋沢栄一の子孫や家系図について解説!子孫は現在も活躍するモデル?

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渋沢栄一は、幕末期から大正初期にかけて活躍した実業家の1人です。

明治政府の大蔵省に出仕した後、日本の多くの企業に関わったことから「日本資本主義の父」と呼ばれました。

その功績から令和6年(2024年)から発行される新紙幣一万円札の顔として選ばれました。

令和3年(2021年)には渋沢栄一を主人公に、大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定です。

そんな渋沢栄一の妻となった2人の女性や子供たち、現在も活躍する子孫や子孫とされるモデルを紹介いたします。

渋沢栄一の2人の妻

尾高千代

安政5年(1858年)、当時19歳であった渋沢栄一は従兄・尾高惇忠の妹である尾高千代と結婚します。

2人の間には長女・歌子、二女・琴子、長男・篤二が誕生しました。

しかし、明治15年(1882年)、妻・千代はコレラによって41歳で亡くなります。

 

伊藤兼子

妻であった千代が亡くなると、その翌年には伊藤兼子と再婚します。

伊藤兼子の父は武蔵国川越の大富豪である伊藤八兵衛でした。

父・伊藤八兵衛の弟、つまり伊藤兼子からみて叔父にあたる淡島椿岳は、幕末から明治初期にかけて画家として活躍しました。

また甥にあたる淡島寒月も明治時代に作家として活躍しています。

渋沢栄一と結婚する前、大富豪出身の伊藤兼子は婿をとって実家を継いでいましたが、アメリカ商人ウォルシュ・ホール商会と共同事業を始めるも失敗に終わり、実家は没落し、伊藤兼子は夫と離婚します。

その後、伊藤兼子は芸者になるため口入れ屋を訪れました。

口入れ屋とは現在の人材派遣会社のようなものです。

そこで妻を亡くした渋沢栄一の妾にならないか、といった話が持ちあがり、伊藤兼子は渋沢栄一の後妻となったのでした。

渋沢栄一の子供と孫

長女・歌子

1863年、先妻・千代との間に誕生しました。

法学者である穂積陳重に嫁ぎ、6人の子供に恵まれました。

歌子の長男・穂積重遠は法学者、最高裁判事として活躍し、四男の穂積真六郎は朝鮮総督府殖産局長、朝鮮商工会議所会頭となり、その後、参議院議員に就任しました。

 

二女・琴子

1870年、先妻・千代との間に誕生しました。

大蔵大臣、龍門社理事長に就任した阪谷芳郎に嫁ぎます。

琴子の長男・阪谷希一は満州国総務庁次長、中国聯合準備銀行顧問に就任となった人物です。

 

長男・篤二

1872年、先妻・千代との間に誕生しました。

元老院議官を務めた橋本実梁の娘・敦子と結婚します。

篤二の長男・渋沢敬三は第16代日本銀行総裁、幣原内閣における大蔵大臣に就任しました。

 

二男・武之助

1886年、後妻・伊藤兼子との間に誕生しました。

実業家として活躍し、石川島飛行機製作所2代目社長や国産電機相談役、浅野セメント各取締役などを務めました。

 

三男・正雄

1888年、後妻・伊藤兼子との間に誕生しました。

実業家として活躍し、石川島自動車製作所、富士製鋼の社長や東京石川島造船所専務取締役、日本製鐵常務取締役兼八幡製鐵所長に就任しました。

正雄の次女・純子は岩倉具視の曽孫である鮫島員重と結婚しました。

 

三女・愛子

1890年、後妻・伊藤兼子との間に誕生しました。

澁澤倉庫会長、第一銀行頭取、龍門社理事長に就任した明石照男と結婚しました。

 

四男・秀雄

1893年、後妻・伊藤兼子との間に誕生しました。

実業家・文化人として活躍し、東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長に就任しました。

 

庶子・ふみ

1853年、大内くにとの間に誕生しました。

実業家で、武州銀行(現在の埼玉りそな銀行)を設立した尾高次郎の妻となりました。

 

庶子・照子

大内くにとの間に誕生したとされています。

いつ誕生したのかは分かっていません。

富士製紙社長となった大川平三郎に嫁ぎました。

 

庶子・星野辰雄

1893年に誕生しました。

母親は分かっていません。

東京印刷社長である星野錫の養子となり、その後、立教大学教授に就任しました。

 

庶子・長谷川重三郎

1908年に誕生しました。

母親は分かっていません。

第一銀行頭取に就任しました。

 

養子・平九郎

先妻・千代の弟です。

いつ誕生したのかは分かっていませんが、慶応4年(1868年)戊辰戦争の地方戦とされる飯能戦争で新政府軍に敗れ、22歳で自害し亡くなりました。

 

現在も活躍する有名な子孫

渋沢寿一 

NPO法人樹木環境ネットワーク協会の専務理事を務められています。

長崎オランダ村、ハウステンボスの企画や運営に携わられました。

 

尾高煌之助

経済学者で一橋大学・法政大学名誉教授となられた人物です。

著書として『労働市場分析 二重構造の日本的展』『職人の世界・工場の世界』などがあげられます。

 

尾高惇忠

現代音楽作曲家で東京芸術大学名誉教授、桐朋学園大学特任教授を務められました。

 

尾高忠明

指揮者として活躍され、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督、東京芸術大学音楽学部指揮科名誉教授に就任されました。

作曲家・尾高惇忠は兄にあたります。

 

人気番組「テラスハウス」に出演

人気番組「テラスハウス」に出演されていたモデルの澁澤侑哉さんは、渋沢栄一の来孫です。

父親はアメリカ海兵隊員、母親は外資系企業に勤める日本人とされ、ハーフである澁澤侑哉さんは整った顔立ち、そして英語と日本語が堪能なことから現在モデルとして注目されています。