島津斉興とは?斉興の最後や西郷どんでの役などについて解説!

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島津斉彬の父である島津斉興(なりおき)は、大河ドラマ「西郷どん」において、斉彬や西郷隆盛と敵対する関係として描かれています。

しかし、実際のところは潰れかけだった薩摩藩の財政を立て直した功績を持つ人物だったようです。

そんな斉興の生涯について、彼の最後や西郷どんで斉興役を務める鹿賀丈史さんなどを含めて解説していきたいと思います。

島津斉興の生い立ち

1791年11月6日、斉興は第9代薩摩藩主・島津斉宣(なりのぶ)の長男として江戸で生まれました。島津家の当主としては27代目になります。

当時は参勤交代などで島津家などの外様大名は江戸暮らしをするのが普通だったため、斉興は鹿児島ではなく江戸で生まれました。

 

形だけの藩主に

1809年に起こった近思録崩れ(きんしろくくずれ)、という薩摩藩のお家騒動により、父・斉宣が祖父・重豪(じゅうごう)によって強制隠居させられました。

そのため、斉興が第10代藩主となったわけですが、藩の実権は祖父・重豪に握られている状態でした。

 

500万両(2500億円)の借金を返済?

1833年に祖父・重豪が89歳という大往生を遂げ、いよいよ斉興が藩政を取る番が回ってきました。しかし、斉興の藩主としての出鼻は盛大にくじかれてしまうことになります。

なんと、祖父・重豪が残した借金が500万両もあると分かったのです。

現代に換算すると、500万両は2500億円ほどの金額で、とっくに財政破綻してもおかしくない状況でした。

重豪は学問や文化に造形の深い人物で、オランダ語に通じ、天文台などを建設、百科事典などの編纂などをしていましたが、様々な事業に藩の財源を投じてしまい、桜島の噴火など自然災害にも見舞われ、ここまで借金が膨らんでしまったようです。

 

有能な側近・調所広郷の抜擢

さて、絶望的な状況で藩主になった斉興でしたが、彼には調所広郷(ずしょひろさと)という有能な側近がいたことが幸いでした。

調所は莫大な借金を返済するために、その冷徹な頭脳を使って以下の対策を実践します。

  • 借金の返済期限を250年に延期することを商人に求める(実質的な踏み倒し)
  • 島民からサトウキビを搾取(「黒糖地獄」と呼ばれる)
  • 大阪の砂糖問屋を追い出し、薩摩の黒糖だけを売る
  • 琉球や清と密貿易を行う
  • 商人にも密貿易を斡旋

内容はグレーゾーンを超えてブラックとも言えるものですが、もはや手段を選べる状況ではなかったのでしょう。

その甲斐もあって、一時期500万両(2500億円)あった借金は、斉興が藩主になって18年後の1851年時点で、50万両以上黒字化できていたそうです。

調所は斉彬の側近からの密告により、幕府からその密貿易を責められ、斉興のために一人罪を被り服毒自殺することになってしまいますが、共に藩政を立て直した斉興と調所の功績は非常に大きいでしょう。

根底には、その財政の立て直しがあったおかげで、西郷隆盛や大久保利通が十分に活躍することができたと言うこともできるのですから。

お由羅騒動の勃発

さて、無事に借金を返済した斉興でしたが、息子・斉彬との関係がうまくいきませんでした。

というのも、当時は西洋に対抗するために、斉興は富国強兵政策を実施しようとしていましたが、それはあくまでも堅実な財政運営に基づいたやり方でするべきというのが斉興の考え方。

一方の息子・斉彬は、どんどん財政をつぎ込み、西洋の技術を早く習得するべきだという考え方でした。

莫大な借金を残した祖父・重豪の件があったためか、斉興はそんな祖父を彷彿とさせる息子・斉彬の姿に強い嫌悪感を覚えたようです。

 

斉彬派の家臣たちを処分

二人の関係は悪化し、家臣の中でも斉興派と斉彬派に分かれ、次の藩主を誰にするかで揉めた「お由羅騒動」という事件が起こります。

これは斉彬派の家臣が、斉興の側室である「お由羅の方」やその息子である島津久光を暗殺しようとする計画がバレたことによって起こったお家騒動です。

これにより、斉彬派の家臣たち50人以上が流罪や切腹などの罪に問われ、大久保利通の父親も謹慎処分になっています。

 

老中・阿部正弘の勧めで引退へ

お由羅騒動の後も斉興派と斉彬派で争いが絶えませんでしたが、老中・阿部正弘から斉興に茶器を送られたことで、「今後はお茶でも楽しんでください = 引退をしてください」という事実上の引退勧告を受け、藩政から退きました。

 

斉興の最後

その後は息子の斉彬が第11代・薩摩藩主となりましたが、斉彬は志半ば、50歳で急死してしまいます。

当時は藩主を継いだ久光の長男・忠徳がまだ若かったため、代わりに斉興が再度藩政を握ることになりました。

その時に、西郷隆盛など斉彬派の家臣を粛清し、斉彬が立ち上げた集成館事業も一時廃止するなど、時代にそぐわない政策に転換し、藩政は混乱したようです。

1859年9月12日、斉興は69歳で死去しました。死因などは分かっていませんが、斉彬が急死した翌年に亡くなっています。

 

西郷どん、島津斉興役は鹿賀丈史さん

大河ドラマ「西郷どん」で島津斉興役を演じるのは鹿賀丈史(かがたけし)さんです。

鹿賀さんはテレビ番組『料理の鉄人』で美食アカデミー主宰として出演し、バラエティでの才能を見せたことからその知名度が上がりました。

また、「西郷どん」以外の大河ドラマでは過去に3作出演しており、直近ですと、「翔ぶが如く」の主役である大久保利通の役を鹿賀丈史さんが担当しています。

征韓論について大久保利通と西郷隆盛の二人が激論を交わす場面は、名シーンとして有名ですね。