吉田松陰の名言!辞世の句や彼が残した言葉とは?

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吉田松陰という人は非常に筆マメな人物で、毎日の行動などを事細かに記録したり、手紙や書・言葉を多く残しており、30年という短い生涯の中に松陰の名言や格言が多く後世に伝わっています。

その数多ある中から、抜粋して松陰の名言10選をご紹介していきます。また、辞世の句についても詳細に解説します。

吉田松陰とはどんな人物?

吉田松陰は、長州藩の思想家で教育者です。 死後大きく開花する尊王攘夷運動の種をまいた人物で、自邸内に松下村塾を開いて子弟の教育に当たりました。

その門下には、維新の大業達成に活躍した高杉晋作、久坂玄瑞(げんずい)、伊藤博文、山縣有朋らがいます。

松陰は安政の大獄に連座し、江戸伝馬町牢屋敷で刑死しました。

 

吉田松陰の名言

吉田松陰の名言・格言・また書や言葉は数多く残されています。その中でもポジティブで人に勇気を与えるような名言を10選選んでご紹介します。

 

名言①

諸君、狂いたまえ。

【意味】常識という概念に惑わされず、現状に満足することなく、人に自分がどう思われるかよりも志を強く持ち自分の信じる道を進みなさい。

 

名言②

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

【意味】夢を持たない人間はそもそも成功などできない。成功したければ夢を持ちなさい。

 

名言③

人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。

【意味】人は皆、1つ2つは素晴らしい才能を持って生まれてくるものであり、その才能は皆平等に持ち合わせている。

 

名言④

宜しく先ず一事より一日より始むべし。

【意味】まずは一つのことを思いついたその日から始めるべきである。

 

名言⑤

勝敗は常なり、少挫折を以て其の志を変ずべからず

【意味】勝つことも負けることも世の中の常である。少しの挫折ぐらいで志を変えるべきではない。

 

名言⑥

君子は交わり経ちて悪声を出さず

【意味】徳の高い人間ほど、たとえどんな理由で絶交したとしても悪口は決して言わないものである。

 

名言⑦

士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない。

【意味】目指すものは、人しての徳であって頭脳ではなく、行動を示すものであって学識をふりかざすものではない。

 

名言⑧

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

【意味】死ぬことによって志が達成できるならば、いつ死んでも良い。生きていることで大業の見込みがあるならば、生きて成しとげれば良い。

 

名言⑨

余寧ろ人を信じるに失するとも、誓って人を疑うに失することなからんことを欲す。

【意味】私は、人を信じて失敗することがあっても、決して人を疑って失敗することはないようにしたい。

 

名言⑩

一誠、兆人を感ぜしむ。

【意味】命をかけて貫くまごころは、限りなく多くの人々を感動させる。

吉田松陰の辞世の句

吉田松陰の辞世と言われるものには3つあります。

2つは獄中にいながら郷里の親族に宛てたもの。そしてもう1つは弟子達に宛てた手紙です。最後の辞世の句に関しては、松陰が書き残したのではなく牢獄で大声で吟じたので、中にいた者が書き写して世に残されています。

では、どういう内容なのか紹介しましょう。

 

辞世の句①

親思うこころにまさる親ご ころけふの音づれ何ときく らん

【意味】子が親の事を想う以上に、親が子を想う気持ちは深いものである。自分の死の知らせををどんな思いで聞くのだろう。

 

安政6年 十月二十六日(1859年11月20日)、「永訣の書」(えいけつのしょ)と呼ばれる、肉親にあてて書かれた別れの手紙の文頭に記されている句です。この手紙には遺書のような内容が綴られており、家族に宛てた最後の言葉として残されています。

家族、特に両親に対しての愛情が深かった松陰らしい句です。最後の時がくるまで両親の事を思う子の姿が思い浮かんでなんとも切ない句であります。

 

辞世の句②

身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂

【意味】私の体は江戸の地で朽ち果てても、私の大和魂という信念だけはこの世に置いておきたいものだ。

 

門弟たちへ渾身5000字に及ぶ遺書「留魂録」(りゅうこんろく)に残されている句です。松下村塾の塾生たちに向けて書かれたもので、一般的には吉田松陰の辞世の句として知られています。

この長文の書の中には以下のような言葉も書かれています。

「討たれたる吾れをあはれとみん人は君を崇めて攘仏へ 愚かなる吾れをも友ととめづる人はわがとも友とめでよ人々 七たびも生きかへりつつ夷をぞ 攘はんこころ吾忘れめや」

(処刑される私を哀れと思う人は天皇を崇めて外国を追い払ってほしい。愚かな私を友と憂いてくれる人は諸君で結束してほしい。7回生き返ろうとも外国を追い払うという心を私は決して忘れない)

この松陰のすさまじい信念は弟子達を突き動かし新しい世への原動力になっていきました。

 

辞世の句③

吾今国のために死す。 死して君親にそむかず。 悠々天地の事鑑照明神にあり。

【意味】私は今、国のために死ぬ。この死は決して主君や親に対し背くことでは何一つない。遥かに広がる天地の間に営まれる悠々と流れる事の中で、私の行ってきたことはすべて国の為に行ってきたことである。そのことは霊験あらたかな神々が必ず見て下さっている。

 

松陰は評定所のくぐり戸を出るとき、漢詩を朗々と吟じたといいます。まさにこの漢詩が最後になるので、辞世の句と言えるでしょう。

この後、いったん伝馬町の獄舎に帰り再度大声で辞世の歌を吟じ、同囚の人たちに別れの挨拶をして正午に刑場へと移りました。

以上が松陰最後の辞世であります。