新撰組とは?メンバーを紹介!最強は沖田総司?

動乱の幕末に誠の旗を靡かせ特徴的な羽織で京を闊歩した新選組、新撰組を題材にしたドラマなどは大変人気があり、好きな大河ドラマランキングなどでは必ず3位以内にランクインするなど現代人を魅了し続けています。

また剣豪集団ですが、その中でも最強の剣術使いとして有名なのが沖田総司(おきたそうじ)と言われており、彼はどれくらいの腕前だったのか大変気になるところです。

新選組の軌跡を追いながら、主要メンバーの紹介や説明などを詳しくしていきます。

新撰組とは?

新撰組の誕生

文久2年(1862年)攘夷派のテロ行為が横行する京都の治安回復の一翼を担う役割と、将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の上洛警護のために幕府が「浪士組」として浪士の募集を行いました。

この浪士募集の提言者で、実際に浪士達を率いて上洛を主導したのが清河八郎(きよかわはちろう)です。しかし、清河八郎は勤王勢力と気脈を通じていて、浪士組を兵力とする外国人遺留地襲撃を画策しました。

事態を知り憤慨した幕府は浪士達を江戸に呼び戻すのですが、本来の目的である将軍上洛警護を主張し少数派の近藤勇(こんどういさみ)・土方歳三(ひじかたとしぞう)を中心とする試衛館派と、芹沢鴨(せりざわかも)を中心とする水戸派が京都に残留します。

京都に残留した浪士達は京都守護職・松平容保(まつだいらかたもり)の保護下に置かれ壬生浪士組(みぶろうしぐみ)を結成して会津藩の命により御所へ出動し八月十八日の政変において活躍しました。

一説に「新選組」という名称は八月十八日の政変後、会津藩より武家伝奏に伝えられ、「新選組」と命名され京都市中警護を命じられとされています。

この後、芹沢鴨が近藤派に暗殺されてからは近藤勇・土方歳三が新撰組の実権を握り京都の治安維持、反幕府テロなどの取り締まりにあたることなりました。

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新撰組の終焉

大政奉還後、新選組は旧幕府軍に従い鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争に参加しますが苦戦と敗北を繰り返します。

甲州勝沼戦争においても敗走を余儀なくされ、近藤勇が新政府軍へ投降し斬首されても主要メンバーは各方面で奮闘、徐々にバラバラになり土方歳三と残った者達は蝦夷地(北海道)に渡り函館戦争を戦い新政府軍を迎え撃ちますが、土方歳三の函館での戦死をもって「新選組」は旧幕府軍とともに終焉を迎えました。

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新撰組が京都で活躍中・関わった主な事件

①池田屋事件

京都三条木屋町の旅館・池田屋で長州藩・土佐藩など尊王攘夷派志士を襲撃した事件。

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②禁門の変/蛤御門の変

八月十八日の政変・池田屋事件などで激昂した長州藩勢力が挙兵し、市街戦を繰り広げた武力衝突事件。

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③ぜんざい屋事件

大阪での土佐勤王党の残党浪士襲撃事件。

 

④明保野亭事件

長州系浪士探索活動中に居合わせた土佐藩士との偶発した事案で、土佐藩士が切腹となり、それに伴う会津藩士切腹事件。

 

⑤三条制札事件

土佐藩士が三条制札を引き抜こうとして、新選組がこれを襲撃・捕縛した事件。

 

⑥油小路事件

新選組と御陵衛士の内部抗争事件。

 

⑦天満屋事件

新撰組隊士のことを坂本龍馬(さかもとりょうま)の暗殺犯と思いこんだ海援隊士・陸援隊士らが京都油小路の旅籠・天満屋を襲撃して、紀州藩士・三浦休太郎(みうらきゅうたろう)を襲い、護衛していた新選組と戦った事件。

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メンバー紹介

近藤勇

新選組2代目局長/甲陽鎮撫隊隊長。

天然理心流試衛館・近藤周助(こんどうしゅうすけ)の養子となり、幕府が募った浪士隊に同門の土方歳三、沖田総司(おきたそうじ)ら数名を伴い応募、その後は新選組初代隊長となる芹沢鴨の下で幹部となりました。

芹沢鴨の暗殺後は隊長となって指揮を執り尊攘派の取締りと弾圧にあたり、池田屋事件で一躍名を馳せ幕末の京都で活躍します。

鳥羽・伏見の戦いで敗れ、甲陽鎮撫隊を結成しますが甲州勝沼で敗走、下総国(千葉県)流山で官軍に投降するも江戸板橋の庚申塚で斬首となりました。

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土方歳三

新選組副長/箱館五稜郭政権時陸軍奉行並。

新選組時代、局長・近藤勇の右腕として活躍、また局中法度を徹底的に貫き規律を重んじて、新選組内部の粛清を遂行し鬼の副長と呼ばれ隊士たちに恐れられます。

幕末から明治にかけて鳥羽・伏見の戦以後、負傷した近藤勇の替りに新選組の戦闘指揮を執り転戦、近藤勇処刑後、榎本武揚(えのもとたけあき)の軍艦に乗船して五稜郭に渡り陸軍奉行並として榎本武揚軍の元で指揮官となりますが、箱館戦争の激戦において戦死しました。

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沖田総司

一番組組長/撃剣師範。

天然理心流を学び剣技に優れ、のち塾頭となり、若年の時から剣術の腕前は同門で師匠の近藤勇よりも上であったと言われます。

新選組随一の剣の使い手と名高く、近藤勇の一番弟子として沖田総司率いる一番隊は、芹沢鴨暗殺や内山彦次郎(うちやまひこじろう)暗殺、池田屋事件など難任務を担って活躍していました。

池田屋事件の時も吐血したなどの記録もあり、持病の肺病(肺結核)が進み近藤勇の処刑も、明治の世も知ることなく亡くなりました。

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永倉新八(ながくらしんぱち)

二番組組長/撃剣師範。

明治以降生き延びた元隊士の中には、新選組の剣の腕前は「1に永倉、2に沖田、3に斎藤」と評している者もいる程、新選組の中でも剣豪の組長の一人でした。

新選組では池田屋襲撃など最前線で活躍し、幕末は鳥羽伏見の戦いで奮闘、靖共隊を結成し副長を務め会津などで戦います。

明治以降は北海道に帰り藩医の娘と結婚し婿養子となり、小樽で暮らしながら地元の刑務所で剣術師範を務めたり、道場を開いたり、大学の剣道部を指導したりと剣術一本の生涯を送り、晩年は近藤勇や土方歳三の墓を建立し新選組の顕彰に力を注ぎました。

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斎藤一(さいとうはじめ)

三番組組長/副長助勤/撃剣師範。

新選組では、沖田総司、永倉新八と並び最強の剣士の一人と言われ、撃剣師範を務めるだけでなく池田屋事件を始め幾多の襲撃に参加し、実力は「沖田は猛者の剣。斎藤は無敵の剣。」とまで評され名実ともに新撰組を牽引した一人です。

幕末は戊辰戦争に参加、明治以降は新政府の警視庁に採用され西南戦争では警部補として奮闘、退職後は主に教育施設、教育機関の守衛や撃剣師範として学生に撃剣を教え、晩年は会津戦争にて戦死した隊士たちの供養に奔走しました。

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最強は沖田総司?

新選組の隊士は、それぞれに腕に自信のある者ばかりですが、その中でも新選組メンバーの中で剣術の腕前が最強と言われたのが沖田総司です。しかし、本当に最強だったのでしょうか。その最強伝説を新選組でも剣豪と言われたメンバーと比較して解説していきます。

 

①近藤勇

近藤勇は実力を買われて養子入りし天然理心流4代目にして「真剣を持たせると敵なし」と称され池田屋突入の時もほぼ無傷だった程ですが、竹刀技はまったくダメだったそうです。しかし、新撰組最強と言われた沖田総司の師匠でもあります。

 

②永倉新八

油小路事件の復讐の機会を窺っていた御陵衛士残党と共に、近藤勇を襲撃して負傷させた元新選組隊士・阿部十郎は、幕末を生き残り明治以降に新撰組についての談話などを遺しています。

阿部十郎は新選組の剣の腕前は「1に永倉、2に沖田、3に斎藤」と評していて、実際に仲間として3人の腕前を目のあたりし、客観的に語っているので信憑性が高い証言だと思われます。

 

③斎藤一

斎藤一は他藩にも聞こえる程、実力は「沖田は猛者の剣。斎藤は無敵の剣。」とまで評され沖田総司と同じく新撰組の撃剣師範を務めました。

実は、新撰組は坂本龍馬暗殺の時に一番に疑われ、陸奥宗光(むつむねみつ)などは斎藤一が坂本龍馬を斬りつけた実行犯で、新選組が犯人だと思いこんで襲撃したくらいです。

その理由が斎藤一は左利きで、当時の武士は必ず右利きに矯正されていたので左利きは珍しく坂本龍馬の額の傷は左利きの刺客の仕業だと推測された事と、北辰一刀流免許皆伝の坂本龍馬を即死させるほどの腕前は、斎藤一しかいないと思われ疑われました。

この事からも斎藤一は相当な剣の腕前で有名だったのです。

 

④沖田総司

永倉新八は明治以降も生き残り貴重な証言を遺した元新選組メンバーの一人で、沖田総司の剣の腕について「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助(やまなみけいすけ)などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた。」と語っています。

この証言からも竹刀技では確実に師匠の近藤勇より強く、稽古場でも沖田総司の相手をした者はボロボロにされていたと言い、師範の近藤勇よりも恐れられていました。

沖田総司の剣の腕前を称賛する声は他にも証言が多数残されていることから、新撰組を代表するくらいの剣の腕前だったことは間違いないです。

 

永倉新八、斎藤一、沖田総司、3人の実力は拮抗?

新撰組の中でも剣術の腕前が世に知れ渡っていた永倉新八、斎藤一、沖田総司とその3人を配下に置く局長・近藤勇の腕前を比較してみて竹刀技で劣る局長・近藤勇を外して、やはり新撰組の撃剣師範を務めた3人は甲乙つけがたいという結論になりました。