江戸幕府とは徳川家康が将軍職についた慶長8年(1603)から始まった武家政権です。
主従関係を重要視した組織からなり、安定した国作りのための役職が多くつくられました。
そんな江戸幕府の仕組みや役職、組織図などについて解説していきます。
江戸幕府の成り立ち
豊臣政権の内部争いが原因で始まった関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は慶長8年(1603)に初代征夷大将軍となります。
江戸幕府は徳川家康が征夷大将軍となった慶長8年(1603)からはじまった政権です。
亡き豊臣秀吉が所有していた領地を徳川家康は没収し、慶長10年(1605)には嫡男・徳川秀忠に将軍職を譲りました。
徳川家康が2年ほどで将軍職を譲った理由として、征夷大将軍は代々、徳川家が継いでいくもの。とアピールするためではないかとされています。
その後、征夷大将軍は代々、徳川家によって受け継がれ江戸幕府は約260年間続いたとされ、その間、争いなどはなく平和な時代が続きました。
幕藩体制
約260年間も平和な時代をもたらした江戸幕府は、一体どのような仕組みであったのでしょうか。
徳川家康が征夷大将軍となった際、約260人の大名と主従関係を結んだとされました。
将軍が行っている政権を幕府と呼び、主従関係にある大名家を藩と呼びます。
また将軍、大名で行われる複合した体制を幕藩と呼びました。
江戸幕府においてはこの幕藩体制を中心に政治が行われます。
徳川家康が江戸幕府を開いた時代は合戦も少なくなり人々が安定した平和のもとで暮らし始めた時代でした。
よって、これまで形として見えていた家臣の将軍に対する忠誠心が確認しづらくなったため、この主従関係を確認するため、参勤交代や築城、治水工事が各藩の大名に課せられます。
この他にも、公家や朝廷を統制するために禁中並公家諸法度を制定するなど天皇を政治実務から完全に排除しました。
大名の分類
主従関係を結んだ260の大名は3つに分類されます。
幕府に歯向かう大名を無くす目的として、領地を与え幕府から遠ざけられた外様大名は親藩、譜代大名によって監視されました。
新藩
徳川家の一族のみに限られました。
譜代大名
関ヶ原の戦いの際以前から徳川家に仕えていた大名に限られました。
外様大名
関ヶ原の戦い以降に仕えた大名を指します。関ヶ原の戦いの際、東軍についていた豊臣系の大名も外様大名に含まれました。
役職
江戸幕府ではこれまでと同様に親政を行っていた将軍もいますが、多くの将軍は政治を老中、大老、若年寄などに委ね行ってきました。
権力の集中を避けるために多くの役職が作られ、主要な役職には複数名を置いたとされています。
また1カ月交代で政務を交代するなどしたようです。
江戸幕府の最高権力者は、もちろん将軍ですが、将軍を支えるために設置された役職が多くありました。
大老
江戸幕府の中で政治全体をまとめる役割を担っていたのが大老です。
この役職は常置いた将軍補佐役ではなく臨時で設置される特別職でした。
大老に選ばれるのは、10万石以上の譜代大名のうち酒井家、土井家、井伊家、堀田家からのみ選出されました。
老中
この役職も将軍の補佐役ですが、大老とは違い常置されている役職です。
臨時の大老が設置されていない場合は常置されている役職の中では最高職にあたります。
全体の政治や外交を担当していたとされ譜代大名から3名から5名が任命されました。
若年寄
老中に次ぐ重職で、老中と同様に譜代大名からこの役職を任命していたとされています。約4名を定員としていたとされ大老、老中の補佐を担っていました。
鷹狩りに関しての管理を行う鷹狩頭、書院番、現代で消防署に当たる定火消役などの役割も充てられていたとされています。
寺奉行
寺奉行、町奉行、勘定奉行の3つを合わせて三奉行といいますが、そのなかでも最も権力を持っていたのは寺奉行です。
寺奉行は全国の寺社の管理、寺社領や門前町における裁判や事件などの監督を行っていました。
この役職には、譜代大名から4名が選出されます。
町奉行
この役職は領内の行政や司法を担当していました。
現代でいう警察や裁判所の役割と同じようなものでしたが、その他にも町の防災に関する仕事も行っていたので、現代の役所にあたる存在です。
勘定奉行
この職は幕府における勘定方の最高責任者で年貢管理や支出管理また全国の幕府領を支配する代官の監督などを行っていました。
この役職は初代征夷大将軍となった徳川家康の代から設置されていましたが、財政が安定することはなく、たびたび幕政改革が行われていたとされています。
奏者番
献上品の内容の確認や、その献上品を将軍に報告するといった役割、また大名や世子に礼儀作法やマナーを教える役割を担っていたとされています。
この職には約20名から30名が充てられていました。
これらの役職以外にも、天皇の守護を担っていた京都所司代や大阪城の管理や関西地方の大名の監視などを行う大阪城代などの役職が設置されました。
江戸後期になると江戸幕府における役職の数は大名、旗本、御家人合わせて470数もの役職があったとされています。
江戸幕府の歴代将軍
ここで歴代の征夷大将軍をご紹介いたします。
- 初代将軍・徳川家康
- 第2代将軍・徳川秀忠
- 第3代将軍・徳川家光
- 第4代将軍・徳川家綱
- 第5代将軍・徳川綱吉
- 第6代将軍・徳川家宣
- 第7代将軍・徳川家継
- 第8代将軍・徳川吉宗
- 第9代将軍・徳川家重
- 第10代将軍・徳川家治
- 第11代将軍・徳川家斉
- 第12代将軍・徳川家慶
- 第13代将軍・徳川家定
- 第14代将軍・徳川家茂
- 第15代将軍・徳川慶喜
最後に
徳川家康が開いた江戸幕府は第15代将軍・徳川慶喜の代まで約260年間続き、幕藩体制がしっかり機能していたこともあり、その間、戦争などはなかったとされています。
そんな江戸幕府も、徳川家の継承者不足や、欧米列強の開国要求に応じることとなり慶応2年(1867)に第15代将軍・徳川慶喜の代で朝廷に政権を返上したことによって約260間続いた江戸幕府は終わりを迎えました。